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篠原和大 静大教授 市民歴史講座  H30/12/8

12月8日(土)キラメッセ沼津市民サロンにおいて「高尾山古墳を守る会」恒例の市民歴史講座が開催されました。講師は静岡大学人文科学部の篠原和大教授で、「弥生のムラから古墳のムラへ」と題し、駿河地域における発掘調査をふまえ、弥生から古墳時代にかけての地域社会のなりたちについて語られました。

 高尾山古墳のような大きな古墳に葬られる人間は、その地域社会の首長と考えられます。当然そこには首長を生むだけの社会構造があり、首長はその地域の政治の中心であったと考えられます。そして、そのような社会構造の母胎ととなった弥生のムラの例として登呂遺跡を取り上げました。
 静岡市の登呂遺跡は高尾山古墳(西暦230年頃)の作られたおよそ100年程前に、洪水にみまわれ消滅した遺跡です。ここからは平成の調査で、集落中央広場に大型祭祀建物(大型独立棟持柱付掘立建物)が発見され、地域の共同体的な祭祀の場であったと考えられています。また、登呂の南東には古墳時代初頭の遺跡、汐入遺跡があり、ここからも溝や柵によって囲まれた祭殿(独立棟持柱付掘立建物)が発見されています。「中央広場」と「溝や柵によって囲まれた」祭祀空間の違いは、集団の協同労働の結束を高めるために共同体的祭祀を行っていたの登呂遺跡から、より集団的で利害を調整し統率し得るような社会構造に発展した汐入遺跡の社会と、その祭祀の特権を得た首長や首長層の姿を読み取る事ができるそうです。
 また、この講演で特に興味を引かれたものに、縄文後期から弥生時代にかけて、富士山の噴出物による御殿場泥流が田方平野や黄瀬川扇状地をつくり、また静岡・清水平野では安倍川が氾濫によって扇状地を広げるなど、天災とも呼べる天変地異が水田耕作地の拡大をもたらし、社会規模を拡大しただろう事です。
天災や異常気象が続く今日。古代史の中の人々も、それらの災難を乗り越え、新たな時代や歴史を切り開いてゆくという、人間の持つバイタリティーを改めて感じた講演でした。

くなのくに(狗奴国) 思いを馳せる。  H30/11/11

沼津朝日新聞のコラム。是非ご一読ください!!
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基本計画検討委員会 第1回会合開催  H30/10/19

都市計画道路沼津南一色線の基本計画策定のための、計画検討委員会が発足しました。計画検討委員会では、道路整備における
基本理念の検討
設計の基本条件の検討
発注方式の検討
の3点を主に取り扱うもので、委員は以下の通りです。
委員長  福井恒明 (景観・土木構造物デザイン)法政大学教授
副委員長 関文雄  (構造)日本大学教授
     亀井暁子 (建築)静岡文化芸術大学准教授
     杉山僖沃 (地域代表)東熊堂沼津南一色線対策委員会委員長
     高瀬要一 (文化財・造園)奈良文化財研究所前文化遺産部長
     新井久敏 (公共デザイン調達)土木学会建設マネジメント委員会
     新屋千樹 (行政)沼津市副市長
       この他、文化庁職員がアドバイザーとして参加する。
尚、この委員会は非公開で全三回の会合を行う事になっており、第2回は来年1月、第3回は3月に開かれる予定です。

10月19日、基本計画検討委員会の第1回会合が市内で行われ、委員らによる現地視察が行われました。市職員より、古墳の形状や周辺の道路環境について説明をうけ、福井委員長は「利便性とともに、文化財としての価値が、地域にもたらす誇りを大事にしてゆく」と述べました。  【以上新聞記事要約】

日本考古学協会 2018年度静岡大会 ポスターセッションに参加 H30/10/21

日本考古学協会の2018年度静岡大会が10月20日(土)より三日間にわたり静岡大学 静岡キャンパスで開催され、「高尾山古墳を守る会」は、この会のポスターセッションに参加しました。
 ポスターセッションは校内の二つの教室を利用して行われ、県内の考古学関連組織がそれぞれの活動内容を掲示板に公開したものです。守る会では、これまでの活動履歴や現状、今後の課題などをポスター展示しました。

 尚、静岡大会の共通テーマは「境界(はざま)の考古学」とされ、研究発表は三つの分科会に分かれ二日間にわたり行われました。各分科会のテーマは
 分科会Ⅰ 旧石器時代における愛鷹山麓の地域性-はざまを生み出すヒトの営み-
 分科会Ⅱ 弥生時代における農耕空間の多様性とその境界
 分科会Ⅲ 古墳時代後期後半の東国地域首長の諸相
とされ、大昔は東国との境であったともいわれる、開催地静岡の古代をさぐる意欲的な研究発表が多数なされました。

小崎晋氏 市民歴史講座 H30/10/8

10月8日キラメッセ沼津 市民サロンで「高尾山古墳を守る会」恒例の市民歴史講座が開催されました。講師は沼津市文化財センターの小崎晋さん、演題は「日吉廃寺ってどんなお寺だった?」でした。

日吉廃寺は、沼津市にある巨大な古代寺院の遺跡で、JR沼津駅東方、1Kmの東海道線日吉踏切の南北に広範囲にわたり存在したものです。現在、その跡の一部は沼津市初の史跡公園として整備され、塔の礎石を見ることができます。
出土品としては、この地域では最も古い山田式の瓦や、仏像の螺髪(らほつ)といった寺院関係ならではのものが出土しており、全国に国分寺ができる前に、この地域の有力豪族によって建てられたものと推測されるそうです。
 同時代の遺跡には清水柳一号墳(形式として「最後の古墳」で、火葬をした痕跡があることから仏教伝来の影響を残した大変貴重な古墳でもあります)やJR沼津駅周辺の場所にあった上之段遺跡、御幸町遺跡(市役所付近)、大規模住居址で近くにある下石田原田遺跡など、沼津市内には、当時からたくさんの人が住んでいたことがわかるそうです。

日吉廃寺の範囲は現在のJR日吉踏切の南北の広範囲にわたっていますが、大正時代から平成に至るまで、たびたび調査が行われていて、伽藍配置の寺院ではと言われてきましたが、その全容はつかめていません。
 その柱穴の大きさと並びから、かなり巨大な寺院だったことは確かなようです。仏教伝来から間もないこの時代に、このような巨大寺院を立てたのは、この地域の有力豪族がこの地域での自分の基盤を確立させるためと、中央勢力に自分の存在をアピールするためだったと考えられるそうです。

逗子市「長柄・桜山古墳を守る会」一行が高尾山古墳を見学  H30/9/8

9月8日(土)神奈川県逗子市の「長柄・桜山古墳を守る会」の一行が、高尾山古墳の見学に訪れました。
 「長柄・桜山古墳を守る会」は逗子市葉山の丘陵地にある史跡、長柄・桜山古墳(国指定史跡)を守り、古墳見学会や歴史講演会などを通じ、古墳についての市・町民の理解を深める活動を行っている市民グループです。

 マイクロバスで沼津を訪れた一行20余名は、午前中に沼津市民文化財センター、高尾山古墳、長塚古墳を見学し、午後からは三島市の向山古墳群や楽寿園郷土館を訪れました。高尾山古墳を守る会からは瀬川副会長などが同行し解説を行いました。

※ 長柄・桜山古墳群
長柄・桜山古墳群は、神奈川県逗子市と葉山町の境にある丘陵地に1999年3月に発見された2基の前方後円墳です。2基とも4世紀代の古墳で、第一号墳は全長91.3m、第二号墳は88mで神奈川県に現存する古墳では最大級です。これらの古墳からは円筒埴輪が見つかっており、墳丘上に並べ置かれていたと考えられ、第2号墳には葺石が施されていた事が明らかになっています。


長柄・桜山古墳を守る会 ホームページ
http://www.nagaesakurayama.com  

中嶋郁夫氏 歴史講演会  H30/8/26

8月26日(日)午後1時半よりキラメッセ沼津市民ホールで「守る会」主催の市民歴史講座が開催されました。講演者は静岡県考古学会の中島郁夫氏で、演題は『高尾山古墳から「邪馬台国」が見える』というものでした。
 当日は酷暑の続く日曜日でしたが、会場の市民ホールはほぼ満席の盛況でした。

 講演は弥生時代後期から邪馬台国成立期。文字の無い時代、各地から出土する土器や鏡などの遺物から当時を探り始めます。
 弥生時代の土器はそれぞれ地方色の強いものが出土しますが、古墳時代に近づくとその地方色は消えて、ある特定地域(伊勢湾地域)土器に入れ替わってゆくそうです。また、地方地方の首長者の墳墓や副葬品も徐々に同一化類型化されたものが多くなり、そこに政治的な繋がりや連帯が見えてきます。やがて、西国に前方後円墳型の墳墓が現れ、鏡や剣、鏃などを副葬するようになり、ヤマト政権型の前方後円墳が各地にひろがります。前方後円墳の大きさは被葬者のヤマト政権内での立ち位置と結束を反映し、副葬品もヤマト政権の権威を象徴する舶載品などが多くなります。ヤマト政権が当時の中国や朝鮮地域の国の権威を頼みにして各地の首長と連帯を深めていったのです。
 いち地方の土器の破片の変遷から鏡や古墳の副葬品。前方後円墳がひろがってゆくさま。当時の東アジアのはしに位置した邪馬台国が東アジアの国際情勢に関連しながら成立してゆくという大変ダイナミックな講演でした。

  頼重新市長 訪問    H30/7/4

「高尾山古墳を守る会」の代表4人が7月4日 沼津市役所に頼重新市長を訪問しました。これは、新市長にたいする表敬訪問と同時に、先日「文化財保存全国協議会」より、文化財保護に功績があったとして表彰された「和島誠一賞」の報告をかねたものでした。
 また、守る会は、先ごろの市長選に先立って、各市長候補者に古墳保存に関する質問書を送付し、候補者全員よりの回答を戴きました。この回答をふまえ、新市長に、沼津市の誇るべき歴史遺産を、市民にとってより有意義な遺産と成すよう、新たに要望書を市長に提出し回答をもとめたものです。
 要望の主たるものは、高尾山古墳の最も重要な要素である、東日本最大級の前方後方墳の形が誰にでもわかるよう、古墳の東側部分を覆い隠す橋梁工事に優先して、トンネル工事を行い。トンネルをまず上下線共用とした上で、実際の交通量と他の道路整備や人口減少に伴う交通量の将来予測を再度確認し、やむを得ない場合に橋梁工事に着手するようにして欲しいというものです。
 市長との話し合いは終始おだやかなもので、沼津市の活性化のためには、各町内から、ワイワイがやがやの運動を盛り上げ、住民と市職員の共働が欠かせないものであると再確認し、沼津市民が誇れる形で古墳を保存してもらいたいというものでした。

和島誠一賞 受賞式  H30/6/24

6月24日 兵庫県西宮市「西宮市民会館」で行われた、文化財保存全国協議会 第49回西宮大会に於いて、和島誠一賞授賞式がおこなわれました。和島誠一賞授与は今回で19回目、この栄えある賞を「高尾山古墳を守る会」が団体の部として授与され、会を代表して副会長 江藤幹夫が賞を受け取りました(個人部門は大阪大学名誉教授都出比呂志先生が授賞されました)。これは、消滅の危機にあった古墳を保存へと導き、遺跡保存と道路建設の両立を成功させた貴重な事例と讃えられての受賞で、 静岡県内の団体では初めての受賞です。
 受賞者スピーチでは、昨年12月に両立案が出さたことに触れて、この案では周溝に橋脚が立つ可能性が非常に高く、古墳の重要な構成物が壊されてしまうこと、また前方後方墳としての全体像が見えず、古墳とわかる歴史的な景観を損ねてしまうことを説明し、 歴史的景観を保持した保存のために、西側トンネルを上下線で共有し、将来の交通量の変化をみて東側車線の建設を考える案を提案していくなど、今後も積極的な活動をしていくと述べ、会場からは万雷の拍手が送られました。

高尾山古墳 道路計画案 可視化!! H30/6

都市計画道路「沼津南一色線」道路案、高尾山にかかる部分を当局案に基づき独自にイラスト化しました。イラストを持って是非現地をご覧になり、沼津の誇るべき歴史遺産の保存のあり方について、あなたのご意見をお寄せください。
 そして、みなさん一人一人の声を、是非、沼津市へ送り届けて下さい。
(画像をクリックするとイラストが拡大します)

Mail
高尾山古墳を守る会 takaosank_dayori@exlte.co.jp
沼津市市民相談センター(要望・陳情) soudan@city.numazu.lg.jp
沼津市「市民の声」アドレス
http://city.numazu.shizuoka.jp/opinion/op_form/index.htm

 

6月 講演会    終了しました。

定例の高尾山古墳を守る会主催の講演会が再開されます。

6月の講演会は 守る会副会長の 瀬川裕市郎 が
「高尾山古墳は大丈夫か 高尾山古墳はなぜ残さねばならないか。」 
と題して 6月23日(土)  午後1時半より
キラメッセ沼津 市民サロン で開催します。

今後も隔月で地元に密着した歴史講演会を開催してゆく予定です、
皆様の御聴講をお待ちしています。尚、資料代として500円申し受けますので宜しくお願い致します。

中学生が古墳を生かした沼津市の活性化を提案

静岡新聞 2018年5月16日朝刊 投書 氏名はHP管理者判断により削除しました。

「沼津あれこれ塾」で守る会・瀬川副会長 講演 H30/5/26

5月26日(土)に行われた「沼津あれこれ塾」(主催:NPO法人海風47)にて、高尾山古墳を守る会・瀬川裕市郎副会長が「高尾山はどうなる」という題でお話をしました。
 高尾山の稀少性、年代性、築造方法やそれにかかった労働力と、当時のこの地域の人口。予想外の出土品など高尾山古墳が他にない特色をもった遺跡であることを解説しました。また、これまで地元で1800年守られてきた貴重な遺跡を、次代に引き継いで行くことが私たちの責務と話しました。

来場者からの質問も多く「高尾山古墳の被葬者は卑弥呼と会っていたのか?」や、「古墳を造営したのは地元の人なのか?」など当時の社会について想像のふくらむ質問もありとても活発な講演会となりました。

また、「沼津あれこれ塾」では、7月28日(土)14時からの回で、「静岡の古墳と高尾山古墳」という内容の講座を行う予定です(内容は変更の可能性があります)。ご都合のよろしい方は行かれてみてはいかがでしょうか。

「高尾山古墳を守る会」が受賞

 私たち「高尾山古墳を守る会」が第19回和島誠一賞、受賞者(団体の部)として表彰されます。
 和島誠一賞は文化財保存全国協議会(文全協)が、遺跡保存に顕著な力を果たしている個人と団体を表彰するもので今年で19回目となります。表彰式は6月24日(日)文全協第49回西宮大会・大会テーマ「都市開発と環境—自然と文化遺産を生かす—」会場:西宮文化会館にて行われます。

※ 文化財保存全国協議会(文全協)
文全協とは日本に残されている豊かな文化財を守り学び活用して後世に伝えてゆくことを目的とした、市民を中心とした遺跡保存の唯一の全国団体です。

沼津市長選挙 選挙結果 H30/4/30

 大沼明穂市長の死去に伴う市長選挙は4月29日に投票が行われ、前沼津市議会議長の頼重秀一氏(49才)が33,037票を獲得して初当選しました。当日の有権者数は164,283人、投票率は45.13%でした。尚、立候補者の得票数は下記の通りです。

当選 33,037票 頼重 秀一 49 無 新
    21,811票 加藤 元章 54 無 新
    15,410票 山下富美子 64 無 新
     1,960票 渡辺 大輔 36 無 新
     1,236票 土倉 章晴 73 無 新

尚、頼重新市長の、守る会質問状への回答は前記事紺色の部分です。

市長選候補者へ公開質問状 H30/4

 大沼明穂市長の死去に伴う市長選(22日告示・29日投票)立候補者に対し、高尾山古墳を守る会は公開質問状を送付し回答を求めました。

 これは、鉄道高架問題と共に沼津市が抱える懸案の一つである、都市計画道路沼津南一色線の整備に係る、高尾山古墳の保存と活用に関し、市長立候補者がどのような考えをもって市長選に臨むのか、市民の投票の参考にすべく行うものです。
 質問状の送付は4月5日に投函(現時点立候補者5名)、ホームページへの記載は回答着順にUPしています。また、質問と回答者が分かりやすいように、候補者の回答を色別に表示してあります。

加藤元章 氏(54) 沼津市議     回答緑色表示
頼重秀一 氏(49) 沼津市議       回答青色表示
山下富美子氏(64) 沼津市議      回答桃色表示
土倉章晴 氏(73) コンサルタント業 回答橙色表示
渡辺大輔 氏(36) 派遣会社社長   回答水色表示    立候補届出順

 

                        2018年4月5日
沼津市長選挙立候補予定者 様          
高尾山古墳を守る会
会長 杉山 治孝
                   
高尾山古墳の保存活用並びに沼津南一色線道路建設に関わる質問

私たち「高尾山古墳を守る会」は、沼津市の懸案の一つである高尾山古墳の保存と都市計画道路沼津南一色線の両立に関し、古墳の保存とその活用をめぐり、市民の立場より市に意見や提案を行っている団体です。
すでにご存知と思いますが、高尾山古墳は愛鷹山南東麓に築造された全長62メートルの前方後方墳です。その築造年代は3世紀前半に遡る、日本列島でも最古段階の古墳です。この古墳の発掘調査においては中国鏡や列島各地との交渉を示す重要な品々が出土したことから、日本の初期の国家形成を正しく理解するうえで欠くことのできないきわめて重要な歴史遺産であると認識されています。
私たち守る会は、この重要な歴史遺産の保存と活用につき、市長選挙立候補予定者のみな様がどのように考えるか、その思いや施策をお聞きし、市長選の判断の参考にさせていただきたいと考えます。
つきましては以下の質問にご回答くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
なお、回答は、回答の有無をふくめ、会のホームページ及びフェイスブック、新聞投稿などで公開・配布したいと考えておりますのでご承知おきください。



<古墳についての基本認識について>
1) 高尾山古墳は、冒頭に述べましたように非常に価値の高いものであり、国史跡指定はもとより、沼津市としてより高レベルの保存を行なうべきと考えますが、古墳の価値の評価及び、保存のありようについてのお考えをお答えください。(記述)

頼重氏
高尾山古墳の重要性については、その築造年代と併せて古墳の形状、規模、墳丘部分の高さ、副葬品の内容からも、大変貴重な価値ある文化財であり、古代日本史のこれまでの常識を覆してしまう可能性も有するものと考える。この事からも、国指定史跡の登録は勿論の事、現状で残っている部分には極力手を付けずに保存するとともに、現状削られてしまった部分などは、歴史的考証も踏まえ、部分的にも復元などを行い当初の姿がわかるようにしたらどうかと考える。

加藤氏
高尾山古墳の価値の高さについては十分評価、認識しており、また、先般、当局より古墳と道路迂回による併立、共存案が示されたことから、今後は本案の詳細検討を進めていくべきと考えている。

土倉氏
守る会の意見を第一とします。

渡辺氏
東日本で最古級かつ最大級の古墳できわめて重要なもので有ると思います。現在の保存状況よりも、高いレベルの保存を行ないたいと思っています。

山下氏
高尾山古墳は、我が国の国家形成を解明する上で極めて貴重な歴史的文化遺産であり、このような貴重な古墳が沼津に存在していることを誇りに思い、何としても保存したいと考え市民運動立ち上げに参加し、皆さんと共に保存運動を進めると同時に市議会においても同志と共に、市当局に保存要請を強く行ってきた私にとっては、保存と活用に特別な思いを抱いています。保存と活用については、古墳の環境整備を行い、出土品の展示会場を設置し、沼津のシンボルとして活用したい。


<道路計画等について>
2) 沼津市は、「古墳と道路の両立」という議論の経過を踏まえて、東側車線を橋梁とし西側車線をトンネルとする道路案を策定しましたが、この計画は古墳景観を著しく損ないます。そこで実施に当たっては、一旦西側トンネルのみを建設・共用し、東駿河湾環状道路の延伸や他の都市計画道路による交通状況を調査再検討しかつ、交通規制などによる交通体系の制御を行ない、可能な限り東側車線を築造しないようにすることが、古墳を傷つけないことと十分な活用を図るためのより良い方法と考えますが、ご見解をお聞かせください。(3点よりレ点で選択)

□ トンネルのみで良い   □ 当局案で進める   □ その他の案にする

頼重氏 当局案で進める

加藤氏 まづは当局案で進める

土倉氏 トンネルのみで良い

渡辺氏 当局案で進める

山下氏 トンネルのみで良い


3) 今年3月9日には市の担当者によって、競技(コンペ)方式を念頭にデザイン案を決定する意向が示されました。つきましては、以下の点などをデザイン案の条件として加えてほしいと考えますが、見解をお答えください。(3点よりレ点で選択)
① 東西道路との交差点に地域住民と古墳見学者の利便のために地下道を設け、信号を介さない歩行者交通を可能とすること
② 東西道路の交差点付近の高所に古墳を展望できる場所を設置すると共に高尾山神社と古墳地内をつなぐ通路や階段を設けること
③ 近くにある明治史料館との一体的な利用のため、江原交差点にかかる歩道橋から北に向かって古墳に到達できる歩道を設置すること
④ 古墳の認知度を高めるために上下線にそれぞれ大型の看板を設置すること など

□ 条件を付与しても良い  □ 条件を付与する必要はない  □ その他

頼重氏 条件を付与しても良い

加藤氏 今後の検討過程の中で考えていくべきと考える。

渡辺氏 条件を付与しても良い

山下氏 条件を付与しても良い


<活用について>
4) 活用については、道路案発表の際の議員全員協議会での教育委員会の答弁では、今後検討していくというものでありました。私たちは、高尾山古墳の価値やこの地域一帯の発達の歴史を理解し考察できるように、隣接地に説明員常駐の資料館及び駐車場を建設し、高尾山古墳の出土品や愛鷹山麓の埋蔵文化財の展示を行なうなど、古墳の価値にふさわしい活用を望みますが、見解をお示しください。(3点よりレ点で選択)

□ 資料館を設けるべき  □ 駐車場だけでその必要はない  □ その他

頼重氏
新たな文化財センターの新設に伴い、市内の収蔵施設に所蔵されている文化財や考古学的遺物の利活用や保存等について、今後話が進められる中で、現状の市内に点在する施設の在り方等も検討されるものと考える。その際、現在の明治史料館の館内展示の仕方や配置等についても取り組まれるようになると考える。その際に、明治史料館内に高尾山古墳の専用ブースを設けるなどして、金岡地区をはじめとした文化財の活用や江原先生の資料などと共に情報発信基地化を進める様にすれば良いと考える。

加藤氏
一般市民が基本的に望んでいることはこの古墳の利活用、すなわち振興策がそのひとつでであると認識しているので、今後、資料館を含めた活用等を考えていく。

土倉氏 資料館を設けるべき

渡辺氏 駐車場だけでその必要はない

山下氏 資料館を設けるべき


5) 今後の進め方として、整備構想を確定するに当たって、私ども古墳保存団体をはじめ、広く市民等を対象にした意見聴取や協議、提案の機会を設けるなど、市民との協働を行なっていただきたいと考えますが、ご所見をお示しください。(3点よりレ点で選択)

□ 協議の必要を認める    □ その必要はない   □ その他 

頼重氏 協議の必要を認める

加藤氏 ご意見は頂き、その内容については基本案に沿って検討していく。

土倉氏 協議の必要を認める

渡辺氏 協議の必要を認める

山下氏 協議の必要を認める


6) 各項目で「その他」に回答された場合はお考えをお書きください。また、そのほかこの件についてお考えがありましたら自由にお書きください。

土倉氏
自分は新設道路の企画会社㈲鶴亀道路企画を30年経営して、リコー通り、沼津バイパスに接続する計画が10年20年先に、困らないようするには、守る会のメンバーを中心として、246バイパスの設置場所・接続位置に関し、市長になったら、この問題を至急メンバーと共に研究し、提案出来るプランがあるかもしれません。



* 4月9日までに事務局 (〒410-0001 沼津市足高454ー12 秋野 宣治)宛ご回答くださいますよう、お願い致します。
ご協力ありがとうございました。


「古墳の保存と道路整備の両立」H案決定の大沼市長急逝  H30/3/21

 3月21日(水)、沼津市長 大沼明穂氏が小脳出血により急逝されました。58才でした。

 市長は就任当初から古墳問題に強い関心を持ち、前任の栗原市長が行った有識者協議会の「古墳の保存と道路整備案を両立させる」とした推奨案を継承し、「高尾山古墳は考古学上も重要な意味を持ち現在の場所に保存しながら活用してゆく」として道路行政の専門家である、国交省出身の新屋副市長とともに綿密に計画を策定してきました。
 昨年末に行われたH案決定の沼津市議会全員協議会の席上に於いても、「沼津の中心市街地への表玄関に位置する極めて価値の高い高尾山古墳は、沼津市にとってシンボル性の高い施設となる要素を兼ね備えております。そのため、具体的な整備に当たっては、古墳と道路を一体的な空間として質の高い整備を行い、良好な景観を形成していきたいと考えております。」と述べたばかりだった。

 大沼市長は2016年10月の市長選で当時現職の栗原氏を破り初当選し2017年1月に軽い小脳出血で入院した。その後復帰し「世界一元気な沼津にする」をスローガンに頑張っていたが1年半ほどの短い公務だった。
 守る会は、大沼明穂市長のご逝去に対し、心よりご冥福をお祈り申し上げます(合掌)。

市、コンペ方式検討 H30/3/9

沼津市は高尾山古墳の保存と道路整備に関しコンペ方式を検討していると発表した。

静岡新聞 平成30年3月9日 日刊9面

 

道路計画現地検討会 H30/3/4

 

 2月25日の「松崎元樹」氏の講演会の際、沼津市議「中田孝幸」氏により、沼津市の沼津南一色線道路計画に対する計画案・解説が行われ、その解説を受ける形で、3月4日(日)午前9時より沼津市東熊堂の高尾山古墳で計画案に対する現地検討会が行われました。
 現地検討会は、今後道路計画の工事実施に伴い、高尾山古墳周辺がどのように変化し、古墳の活用にどのような障害が生じ、どのような可能性を生じるかを、現地において確認し、計画案の正しい理解と問題点を探るため実施されたものです。

 当日は天気もよく暖かく、市街地では早咲きの桜も目につきました。30名近い参加者は市議「中田」氏の説明により、今の時点での当局発表の計画案概略につき、現地での具体的な説明に聞き入りました。
 現地での検討会終了後、場所を金岡地区センターに移し、参加者による意見交換会が行われました。ここでは古墳活用に関して様々な意見が交わされ、参加者の多くが最も危惧した事は、古墳の最大の特徴である、前方後方墳の形が、橋梁地上路により隠され、確認できなくなることでした。そして、それをカバーするためには、最低でも、高い位置から古墳を俯瞰できる歩道橋のような施設を設けることや、古墳に入る事ができる通路を設ける事などを道路計画案に盛り込み、配慮を求める意見でした。
 今後、考える会では、古墳の活用に関し、市民や専門家の意見を集約し、ガイダンスセンターなど古墳活用に関する要望書を市に対し提出する予定です。

「歴史遺産をどう遺し、どのように活用するのか?」講演会が開催されました。 H30/2/25

2月25日(日)沼津市立図書館4階の講座室に於いて午後1時半から開催された講演は定員100名の会場をほぼ満席とする盛況となりました。
 講演は、東京都埋蔵文化財センター広報・学芸担当課長であり、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会事務長である「松崎元樹」氏により「歴史遺産をどう遺し、どのように活用するのか?」と題され行われました。
 講義は、文化財保護の歴史とあゆみ、文化財保護と遺跡の活用事例、文化財保護と市民のあり方など、東京都 多摩地区の古墳公園や埋蔵文化財センターの取りくみを事例に、また、国史跡の武蔵府中熊野神社古墳保存整備のDVDも併せ、具体的な保存例を学習しました。

 この講演は、先日発表された沼津市の道路計画案に対し、私たちが今後どのような展望をもって高尾山古墳を守ってゆくべきなのか。市民運動として、私たち市民が行政や研究者とどのような関係や役割分担を行い支え合って行くべきなのか、運動の新たな指針案づくりに非常に参考となるものでした。
 また、松崎氏の公演の後、沼津市議「中田孝幸」氏より、沼津市の道路計画案に対する現時点でのニュアンス、推測可能な範囲での計画案の可視図が説明され、道路計画や古墳の保存に関する疑問点や要望を提出する際の具体材料となる道路計画解説がありました。

尚、松崎元樹氏には、日本考古学協会 2015年5月22日付けの「静岡県沼津市高尾山古墳の保存を求める会長声明」発表に、ご尽力戴いたそうです、この場を借りて沼津市民・高尾山古墳を守る会より感謝の意を述べさせていただきます。「ありがとうございました。」

全員協議会を受け市の説明会開催  H30/1/9

1月9日(火)沼津市は「守る会」に対し、道路計画と古墳保存に関する説明会を市水道局会議室において開催しました。説明会は市側8名、守る会側8名の参加で、先日の全員協議会での計画案公表に対しての「守る会」側の質問に応えるという形で行われました。

主な質疑内容としては、
守る会: 古墳東側を橋梁により道路を通すと、古墳敷地のスペースが極めて狭くならないか。
市側: 古墳の保全や景観、道路の安全確保、地元の要望などに配慮し、今後基本設計をしてゆく。そのなかで橋脚の厚さ・スパンの位置などを出してゆく。
守る会: トンネル工事を優先してトンネルを上下線として使用する案はないか。
市側: トンネルを江原交差点に向けて上ってゆくには勾配がとれず、交差点に向かうには最低40mの長さが必要であり無理がある。トンネルは下り専用の2車線道路で考えている。
守る会: B案の復活はないのか。
市側: 古墳東側橋梁道路のH案で、先日の全員協議会で説明、理解を求めている。
守る会: 全員協議会では教育次長は箱物を作らないと明言したが、展示施設などは作らないのか。
市側: 現時点では予算的にも計上されず白紙である。音声ガイドやスマホ映像などの機器も発展している。
守る会: 古墳の今後について、文化財センターの計画案は固まっているのか。
市側: これから、道路計画に対応して考える。
守る会: 高尾山古墳への募金の状況は
市側: 29年11月現在2千万円余に達している。
などの質疑が交わされました。

H30/ 年頭所感 「まず、道路ありき・・・」 副会長 瀬川裕市郎

 まず、道路ありきの髙尾山古墳の保存と道路の両立?
                            瀬川裕市郞

 2017年12月21日(木)、沼津市議会全員協議会が開かれ、「都市計画道路 沼津南一色線の整備方針について」議員全員で協議された。協議会の名が示すようにこの会は議決権を有せず、あとは本会議にかけられ議決され、はじめて市としての決定となる。
 振り返れば2015年5月、髙尾山古墳は都市計画道路のため削平されると報ぜられ、現「髙尾山古墳を守る会」会長の杉山治孝さんの呼びかけにより、髙尾山古墳を守る市民の会、高尾山古墳を考える会、髙尾山古墳の保存を望む会の3団体が結成されたが、後、この3団体は「髙尾山古墳を守る会」に統合され、「髙尾山古墳を現状のまま残すこと」古墳の近くに「ガイダンス施設を設置し専門職員を常駐させること」、さらには「髙尾山古墳を町おこしのシンボルとすること」など要望してきた。
 そして2015年9月3日に有識者による髙尾山古墳のための「協議会」も設置された。
 2016年2月2日まで都合3回にわたって協議会は開かれ、3人の学識経験者の推奨されたB案から検討されることになった。しかし、残る5案についても協議会の意見として当局に提案された。その後、「T字路案」と略称されたB案では、公安委員会の了解が得られず、結局別案の「D、E、H案」の3案を検討することになった。
 このうち、D案とされたものは協議会委員でアドバイザーの文化庁職員から、D案のように両側を道路で取り囲まれた古墳で国史跡指定となった例は知らないとされたもので、それまでを都市計画道路の検討案に入れるのかとの批判的な意見も出ていた。
 さて、12月21日の全員協議会でH案で行くことがその場で報告・論議された。
 当局の説明では古墳東側の都市計画道路予定敷地内(すでに都市計画道路沼津南一色線の大方は沼津市の市有地となっているという)に橋梁をかけ道を通すとしている。
 ところが古墳の東側周壕一杯に橋梁がつくられ、前方部南端まで橋梁となる設計のようなので、古墳の東側、神社境内から古墳を見ても、この古墳が前方後方墳であることをイメージしづらい。当局のこの道路設置の計画案では、まず、この橋梁部分を含んだ道路の建設から始めるという。この事態を憂うのはさらに橋梁を支える橋台や橋脚はどこに設置されるのだろうと云うことである。そのため遺構を壊すことなどないように願いたい。
 古墳を西側から見ても、西側に添う市道南北道の拡幅により、古墳北側の周壕の一部、後方部の西側の周壕、後方部の一部、さらに前方部の南端、撥状に拡がったあたりまでは削りとれられている。それだけで古墳の全体像をイメージしなくてはならず、古墳にあまり接したことのない見学者には分かりづらいことになってしまう。要はこうした橋梁による道路では髙尾山古墳の「古墳らしさ」をイメージしづらいと云うことである。
 また、すでに東駿河湾環状道路の沼津から西区間の路線も決定もされたと云うし、この西区間の完成により現在の国道1号線の通行量は、4割近く減少するという当局の言質もある。それによれば、江原公園前交差点から共栄町の交差点にまたがる範囲の交通量も減少するはずであし、その上、古墳下のトンネル工事は30年代後半から始まるというので、その頃には人口減少に伴う交通量の減少も予測され、ここを通過する車両も、特に富士方面へ行く車両は、それまでには完成するであろう東駿河湾環状道路の沼津から西区間へ向かえば時間も大幅に短縮できるし、わざわざ髙尾山古墳を通過することもないだろう。
 忘れないでほしいのは今回の髙尾山古墳を残すべきと云う私たちの要望は、私たちの会長の、「歴史と文化を大切にできない町は衰退する」という信念を共感した仲間がそのことを胸に秘めて、「髙尾山古墳は残すべき」と声を挙げている。言い換えれば沼津の将来に目を向けた声であると云うことでもある。
ところで、古墳を残すより「生活道路」を早急に通す方が、地元の要求にかなっていると云う意見もあるが、まったくその通りだと思う。しかし、いまつくろうとしている都市計画道路が生活道路と単純に云えるか否か議論する必要もありそうである。地元のお年寄りのなかには「幅が25mもあってそこを車が時速60㎞や50、40㎞で通り抜けるような道路はいらない」という声は重く受けとめるべきである。そうしたなか特に何人かの議員たちは古墳を移築しろとか、古墳の特徴など克明に記し、その記念碑を建てればよいという意見も出している。さらには古墳を残すためにかかった費用とそこから得られる収益の比較(対費用効果)を求めると云う意見もあるようだ。
 この対費用効果を数字で求めるという意見には、先頃の全員協議会で教育次長が、古墳を保存し、地域の宝とすることは対費用効果を求める類のものでないと明確に答弁している。髙尾山の協議会でも委員の一人がこれを問題とし、対費用効果を意識すべきとの意見も出していた。また、古墳を移築させろと云う意見もある。これについては現実の問題として60mを超えるような大きな古墳を他へ移築させる技術などないし、たとえば、上円下方墳として発見例が全国で10基余りの例(愛鷹鉄工団地で確認された清水柳北1号墳)でも、これを移築してしまったため、これはレプリカ(模型)と判断され、国史跡指定となれなくなっている例もある。さらには、60mのものを縮小して他へ移せという意見もあるが、これでは清水柳北1号墳と同じである。また、古墳に副葬された鏡や鎗は総べて取り出されているので、髙尾山古墳はすでに「土の塊」にすぎないとも云うがそれでも古墳は古墳である。決して土の塊ではない。「興国寺城」にしろ「長浜城」にしろ当時の重厚兼備な建物の柱跡や堀跡など、副葬品の取り出された古墳を「土の塊」と称するなら、城址も同じではないかと思われる。
 国史跡指定のメリットは当該史跡をもつ市町村が100%享受できるものであり、それにかかわる展示施設などを後日設置すると、およそ50%が国から補助される。
 そしてなによりも史跡はその場所にあっての史跡でありその場におくことが最もベストとされている。また、議員の一人からエジプトのアブシンベル神殿さえ移築しているのだから、髙尾山古墳も移築が可能ではないかとの問い掛けがあったが、この神殿が移築したのは1960年代(昭和35年代)のことで、その後は「ユネスコが遵守するヴェネチュア憲章やバラ憲章等により、立地、素材等の現状維持を世界の共通認識としている。そして現在は歴史資産や文化遺産を移築した場合には世界遺産には登録出来ない」(ウィキベデイアより)ことになっている。ユネスコの遵守規定を引き合いに出すまでもなく、髙尾山古墳は地元である沼津市東熊堂や西熊堂の地先に、現状のままで保護、保存をして行くのがベストと考えられる。
 残念だけど沼津の現状は杉山会長の危惧通りの方向に進んでいると思われる。愛鷹山麓は多くの考古学徒がうらやむほどの遺跡の宝庫である。特に旧石器時代の遺跡の密集は世界から注目されるほどである。そのいくつかが高速道や新幹線、工場進出、農地圃場、宅地開発などで失われても、それらの遺跡から発見された石器や土器についても市民に公開しようともしない。髙尾山古墳の副葬品についても近くにガイダンス施設を造れと要望に対して教育次長の言葉は冷ややかであった。教育次長の云うガイダンス施設とは、古墳の案内板のことで私たちの要望とはかけ離れたものであった。
 実は、先頃私たちは道路関係課、文化財関係課と面談した。その中でこの両者は現在提出している諸々の案は、将来的な見通しを述べたもので、それらは決定事項ではないと何回も発言したと個人的には受けとっている。それだと私たちは何も言えなくなってしまう。
 以前、この両課と面談した際、「なぜ、国史跡指定の申請を速やかにしないのか」問うたところ「都市計画道路に関する選択肢が狭められる」と云う返事であった。今度のH案についても厳密には協議会の提案したものではない。その上、今回の当局のH案は都市計画道路の敷地内で多くが自らが所有する敷地内での案件である。これでは「都市計画道路に関する選択肢を自ら狭めて」いることにならないか、いささか疑問とするところである。協議会のB案ついても、漏れ伝え聞くところでは信号の設置や鋭角的に曲がる交差点風道路などが危険であると云う以前に、1672号線は道路としての機能を失っており、地元の要望、1672号線の東西の行き来が完全に見捨てられていることも大きな理由となったのではないか。これでは古墳の保存と道路の両立とは、実は道路優先でことが進められてきたと思いたくもなる。主体としなくてはならないのは高尾山古墳である。
 この際、先の私たち会長の信念を忘れずに議論してほしい。会長の信念を繰り返せば「歴史と文化を大切にできない町は衰退する」であるが、そのことを胸に刻んで古墳と道路の両立を間違いのないよう進めてほしい。明日の沼津のために。

                    

高尾山古墳保存と計画道路整備案、最終案発表!  H29/12/21

 沼津市は21日、高尾山古墳保存と都市計画道路「沼津南一色線」整備計画に対する最終案を発表した。この発表は市議会定例会閉会後の異例の発表となったが、これは関係各所との最終的な調整に時間がかかったとの市側の説明であった。
 最終案は協議会案H案の一部を変更したもので、古墳墳丘と神社の間、古墳東側を下り2車線の橋梁地上路(周溝部や前方部上)とし、上り2車線を古墳地下を通すとした案で、この計画は古墳景観を損ない、古墳の史跡活用に障害を残す計画あるといわざるを得ない。尚、沼津市発表の計画案資料は下記の緑色ボタンで閲覧できます。

 また、沼津市市会議員「中田孝幸」氏のブログには、南一色線整備イメージが側面イメージとともにまとめられています、是非ご覧下さい。見出しは「高尾山古墳と道路の両立案」です。下記をオレンジ色ボタンをクリックしていただければブログにジャンプします。

沼津市計画案資料 (pdf)

トンネル構造で両立???   H29/12/13

12月13日、沼津市は都市計画道路沼津南一色線の開通と高尾山古墳保存の両立案として、道路は片側2車線をトンネルとして古墳地下を通し、もう片側2車線を古墳東側周溝部に橋脚をもった地上路を通すとした案を発表した。この案は、古墳と神社の間の周溝部や古墳の一部分上に2車線道路を通過させるという古墳の景観を著しく損なう案であり、古墳の遺跡としての利用価値を極めて狭める計画である。
 私たち守る会は、沼津市に対し、常々計画案の公表とその協議を要求しており、先月末29日に守る会と市担当者との話し合いの席ではこのような計画案に対し市側から一切触れる事なく、新聞紙上への抜き打ち的な発表となった。これは、新聞紙上においての計画案の既成事実化を目指した、市民不在の市政の暴挙であると言わざるを得ない。
 このような事態に対し守る会は、計画案図面の速やかな開示とその変更を求めると共に、古墳の現況保存、古墳景観の保全、古墳の史跡活用に対して、早急に私たち市民側との協議に応ずる事を要求する。

磯田先生の新刊が高尾山古墳について書いています。

「武士の家計簿」で一躍有名になった歴史家 磯田道史 氏の最新刊「日本史の内幕」が中公新書より刊行されました。この本のなかで、沼津市の高尾山古墳に触れ「初期古墳を守れ」として一節をもうけています。その中で

 私は「ちょっと待ってくれ」といっている。私も遺跡の上の家で育ったから地元の不便さはわかる。しかし人間の品格はやせ我慢に宿る。「不便だがこれは日本国家誕生時の重要遺跡、それが沼津にあるのは地域の誇りだから」と子どもたちに語れる品格もあっていい。
高尾山は壊せる古墳ではない。壊せば祟(たた)られるとはいわないが、恥だ。「あの時の沼津の人と市長は偉かった」と後世に語りつがれる決断をしたほうがいい。国も特殊な事情を勘案してほしいと思う。

私たちは磯田氏のこの言葉を、沼津市民のすべて、日本国民の全てに伝えたい。今の総理大臣や大企業の不正事件をみていると、この国はいつのまにかこんなにも品格のない人々の国家になってしまったのかと。

「日本史の内幕」中公新書 840円+税

守る会は 11月21日 4カ条の要望書を提出しました。

沼津市は先に示した道路案Bの実現が難しくなったとして、新たにD案・E案・H案の再検討にはいりました。その為「高尾山古墳を守る会」は11月21日大沼市長に対し、4か条の要望書を提出し、古墳がこれ以上損壊されぬよう求めました。

1. 検討にあたっては古墳の可視範囲を現状以上に阻害させず、また古墳をこれ以上傷つけることのないように要望し、併せて検討案の図面での開示を要求します。

2. 新たに検討中の3案以外の案を策定する場合には、その案を直ちに公開してください。それは協議会の検討案でないことから、本会を含む市民の情報の共有になります。

3. 市当局が現在検討中の案につき、最終決定をする前に、本会を含む各関係団体の意見を聴取する機会を設けられるよう要望し、なされない場合はその理由を開示してください

4. そして私たちは、上下各1車線ずつのトンネルを通し、しばらくはそのトンネルのみを使用し、然るべき後に、古墳の西側や東側を通る道路案を検討するという案をもっています。ぜひ私たちのこの案を選択肢の一つに加え、前向きにご検討ください。

以上要望し、その回答を求めたものです。

  育て郷土愛 !  H29/11/16 

 

「高尾山古墳を守る会」会員が、沼津市の「チーム学校」実現事業に協力しました。この取組は市の教育大綱に基づき「郷土愛の育成」や「地域に貢献できる人材育成」のために地域交流・体験学習・校外学習を推進するもので、会のメンバーも沢田小の「沢っ子オリエンテーリング」に協力。校区内の市指定史跡「子の神古墳」では古墳を通じここには千数百年以上の長い歴史が眠っており、その歴史の興味深さおもしろさを説明しました。

高尾山古墳のパンフレット販売  H29/11

沼津市教育委員会・沼津文化財センター編集

「高尾山古墳」のパンフレットが発行されています。領布価格は100円で、沼津文化財センター、明治資料館、市役所3階でおたずねください。

 高尾山周辺史跡めぐり   H29/11/18 

 

11月18日土曜日、第7回「史跡と資料の語る沼津の古代史」による、「沼津の史跡巡り」が開催されました。当日はあいにくの小雨もよう、それでも20名の歴史好きが傘をさしながらも高尾山古墳とその周辺の史跡を3時間にわたり探訪しました。
 一番目は東熊堂「大泉寺」ご住職に寺の由緒・縁起を話いただき、古文書・熊堂大泉寺文書に記された地震の話などをききました。また、この寺には「こよい出船か おなごりおしや」で有名な歌謡「出船」の作詞者、勝田香月の墓があります。次は高尾山古墳、古墳の説明に加え道路計画にも触れ、道路と保存の両立の難しさを実感しました。三番目は長塚古墳、守る会副会長の発掘当時の話をうかがい。近くにある笹見窪では明治初年における、徳川幕府解体と沼津に移住してきた100戸あまりの幕臣家族の維新後の窮状を知りました。その後、澤田小学校沿革、義民・山田源次郎顕彰碑を訪れ、昼頃の解散となりました。

講演 「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」タイトル由来   H29/10/28

10月28日 沼津北口キラメッセで第6回「遺跡・資料の語る沼津の古代史」講演会がおこなわれました。演題は「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」と題し、守る会副会長の瀬川裕市郎による講演でした、講演を終え、瀬川さんにタイトルの由来などをお聞きしました。

『奈良時代スルガの名物はカツオ製品だった』と云うタイトルでお話しさせていただきましたが、なぜこのようなタイトルに、との質問がありましたので、ちょっとお話させていただきます。
 大分以前になりますが「守る会」の会長(杉山治孝さん)から、高尾山古墳を築造できた経済力は何だったのかと問われ答えに窮したことがありました。

 その後、同じような質問を何人からか受け、うまく応えられずにいました。そんな折、奈良時代を中心とした平城京や平安京、長屋皇子邸跡から大量の木簡が発見され、そのなかにこの地方のカツオ製品の貢納木簡が数多く含まれていたことを思い出しました。
 私は以前、それらを堅魚木簡として整理し、私なりに200点ほど集成できていました。堅魚木簡の多くは調(税)として納められたカツオ製品に、荷札のように付けられた木片です。
 木簡が使われた当時は律令国家が成立し、一応税体系も整い「調」として、この地方はカツオ製品を納めていたわけです。ここのカツオ製品は都に届くほど存在感(ブランド力)があったと云うことだったと思います。
 ただ、それは「延喜式」に記された当時に、この地方の「名産(名物)」になったわけではなく、おそらく縄文時代やそれ以前から、この地方には長い漁業の歴史があり、そのなかで都にも、ここのカツオ製品が周知される程になっていたのだと考えてみたわけです。

 そして、このような地域の特産物が髙尾山古墳だけでなく、神明塚や子の神古墳を築造し得た経済力だったのかも知れないのです。
 さらに研究するべき課題はあると思っていますが、興味は尽きません。

9月22日提出の質問書の回答がありました。 H29/10/18

 先月22日に「高尾山古墳を守る会」の提出した市長宛の質問書の回答が10月18日にありました。回答は今年5月に守る会が市に質して得た内容とほぼ同様なものでした。 
私たちの今回の質問は、市の「道路計画と古墳保存」に関する「国指定への取り組み」の姿勢と、それがどのように具体的になされているのかを質問したものです。これはこのところの市の「国指定」へ発言に若干のトーンダウンが見られ、それに疑念を感じたためのものでした。
 しかし残念なことに、今回の回答書も「国史跡指定を目指していきます。」や「国指定の申請に向け取り組んでいきます。」との回答にとどまり、県教育委員会や文化庁との具体的協議に触れるものではありませんでした。
「国指定」はあくまでも私たちの財産としての、史跡の保護と活用を図るためのものです。決して国の為にするものありません。私たち市民や市行政の積極的働きかけ無くしては、史跡を健全に守ることや活用することが難しくなると危惧するのです。

9月30日 第5回 遺跡・資料の語る沼津の古代史 が開催されました。

 

9月30日(土)キラメッセぬまづ市民サロンで「史跡と史料の語る沼津の古代史」第5回講演会が開催されました。講師は瀬川裕市郎高尾山古墳を守る会副会長によるもので、演題は「愛鷹山麓の縄文時代は仮住まい?土器は何処でつくったか」というものでした。

 講演はまず、愛鷹山麓の開発によって多くの遺跡が破壊されてしまった現状を紹介したのち、山麓の地形・水系・動植物、から説き起こし、山麓に於ける縄文時代の遺構・遺物の特徴が説明されました。
 愛鷹山麓の縄文時代は広葉樹の生えた草原のような状態で、住居の特徴としては、山梨や長野などの周辺他地域の竪穴住居に比較して、まとまりとしての戸数が少なく、竪穴の掘り込みが浅く、柱が総じて細く、柱を埋めた部分も浅いなど、住居としては小規模・原始的であり仮設的な住居のようです。また住居に付随して発掘される土器や石器などの数量や種類も他地域に比べて少なく、縄文時代の革新的技術であり生活に欠かせない土器の製作も、愛鷹山麓の土質は水分量が多く非結晶のため土器製作には向かず、発見される土器の多くは外部より持ち込まれたものだそうです。
 石器の種類に於いては打製石斧や石皿といった植物採取生活に必要な石器類が少なく、割合として狩猟生活に必要な石鏃などが多いという特徴があり、縄文時代の愛鷹山麓は年間を通じて生活する場・集落としてよりも、狩猟の季節などに一時的な生活の場として利用された可能性が高いというお話でした。
愛鷹山麓は県内有数の遺跡の多い所と聞いていましたが、今回の講演の指摘に縄文時代の愛鷹山麓のイメージに新たな深みが加わった講演内容でした。
 また、講演終了後、9月22日付で提出された市長あての質問書の説明と聴講者との意見交換がなされました。
次回講演会は10月28日「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」と題し引き続き瀬川副会長の講演となります。皆様の御聴講をお待ちしております。

H29年9月22日 大沼市長あて質問書を提出しました

高尾山古墳を守る会は9月22日付けで大沼市長に対し質問書を提出しました(質問書原本はボタンをクリック)。
 質問書の提出は、前栗原市長との約束であった、「国の指定史跡として保存するという約束」に対し、このところの市の対応に若干の疑念を感じたためです。
 質問内容は、5月24日付回答に於ける地元からの要望とは何か? 私たち守る会は古墳の「保存」と「国指定史跡とする事」は同義と考えているが市側も同様に「道路の施設と古墳の国指定」を目指しているか? 新たに再検討案とした案の中に文化庁職員より「国の指定となった例をしらない」とされた道路案が入っているが、文化庁との国指定史跡へ向けての協議や指導は受けているのか、受けていない場合は速やかに受けるよう要望し、またその指導を受けた中で国指定とするために必要な時は道路案を再検討する用意があるのか? というものです。
 これら市長宛の質問は10月15日迄に回答をいただける予定です。

市長と語る会で「高尾山古墳と道路建設」の質疑  H29/8/29

8月29日金岡地区センターに於いて市長と語る会が開催され、その中で「高尾山古墳の保存と沼津一色線整備」に関する質疑が交わされました。


 「古墳の保存と沼津一色線の道路整備」に関しては、古墳の地元金岡地区センターで会が開催されたことで、特に時間を割いて話し合われ、地元自治会との意見交換では、①都市計画道路沼津南一色線の整備と古墳の保存②地区内東西道路の整備③地区内南北道路の整備に関して質問や要望が出された。
 「古墳の保存と道路の整備」に関しては、道路建設課長が現況を回答し、有識者を交えた協議会で推奨された計画案B(T字交差点・信号を古墳の西北に設けて急カーブに代える案)が道路の安全確保上、公安委員会より「それはできない」と言われ、かつB案では「地元要望の東西連絡道路の整備困難が浮上」したためB案を除外し、上り下りの片側の車線をトンネルとする、二つの案と、上り下り線によって古墳を挟み込む案(協議会に於いて文化庁のアドバイザーより、そのような形で古墳が国指定となった例を知らないとされた案)3案の中から最適の案を選考し早期に道路整備に移るとの構想を示した。
 一方、道路行政の専門家である新屋千樹副市長は古墳と新幹線と国道1号に挟まれた狭い地域に道路建設を行う事、制限速度60キロの安全基準を満たしながら設計せねばならない事、周辺は軟弱地盤なのでトンネル建設にも十分な検討が必要となる事など」検討が難航している現状を明かした。
 また、市長は「古墳は邪馬台国の女王卑弥呼に対抗する勢力の王の墓であるという説」を取り上げながら沼津をブランディングする材料や、沼津の元気を生み出す材料になる可能性が高尾山古墳には秘められているとの考えを示し「なんとか今年中に方向性の確認をできないかやっている」との慎重な態度を示した。
 これら市側の意見に対し、地元自治会役員から「古墳を壊さないというのが大前提になっているが」と他の例をひきながら「沼津の豪族の墓がレプリカではいけないのか」との発言もあり、市教委担当者は史跡、とりわけ古墳は造られた場所との関連が重要である・・・と説明した。
 また神田町の男性からは「歴史と文化を大切にしない都市は衰退する」との意見もあり、市長は「地元の皆さんの気持ち、文化と歴史、双方を大事にしてゆきたい。皆さんの支援をお願いします。」とこれに応じた。

沼津朝日 平成29年8月31日記事より要約

「遺跡・史料の語る沼津の古代史」 H29/8/26(土) 第4回 終了

「高尾山古墳を守る会」主催の歴史講演会が8月26日(土) 沼津駅北口のプラザヴェルデ1階市民サロンで開催されました。

 講演は市文化振興課の 高尾好之 氏によるもので、「愛鷹山麓の旧石器人は最初の静岡人?」と題された講演は、市内井出から発掘された、後期旧石器時代の遺跡「井出丸山遺跡」(38,250年前の日本最古級の旧石器時代遺跡)からひもとかれ、何層にも重なった愛鷹山の明瞭な地層に眠る石器の特徴と、その変遷について語られました。
 愛鷹山麓や箱根山西麓は後期旧石器時代からの遺跡が多数分布している事が知られています。これらの遺跡はこの時代の数少ない生活跡として、石器や土坑・石囲い炉などと、目立つ事のない遺物や遺構ではありますが、日本列島に初めて渡ってきた人々の姿をわずか垣間見ることのできる極めて貴重な遺跡群です。  
私たち古里の土を最初に踏んだ人々の手がかり・・・・。郷土の原初に遡る痕跡、歴史好きとしては本当に興味の尽きない講演でした。
 なお、今回の講演会参加者も、市民サロンが満席(約50名)になる盛会でした。今後も地域の歴史を知るための魅力ある講演会を企画し、高尾山古墳の国指定史跡を目指し、皆様の一層のご理解を得たく活動してゆきます。

守る会主催  歴史講演会 H29/7/15(土) 終了しました。

『遺跡・資料の語る沼津の古代史』 第3回
 鹿児島・山陰の火山灰が愛鷹山に飛んできた
 講師 増島淳 (静岡県地学会東部支部長)

申し込み・問い合わせ先(瀬川まで) 090-4793-0797 携帯
e-mail sgy3914@ny.thn.ne.jp

会場 :金岡地区センター(沼津金岡小学校校舎北側)
時間 :午後1時半より
    資料代 500円

ウィキペディアに高尾山古墳のページ H29/5月

今や生活には欠かせないインターネット、その便利さは生活の隅々まで浸透しています。そして、その便利さの秘密は多くの人々に支えられたありとあらゆる情報、買い物から・健康・旅行から読書、あげくの果ては日常の愚痴まで。考えつくありとあらゆる情報がネット上に溢れています。

その中でもウィキペディアのフリー百科事典はスグレモノのひとつ。誰でもが自分の得意とする情報分野を編集執筆して百科事典のページとして世界に開けるものです。この執筆者達は全てボランティア、広告もなし、ですから専門家だけで終わらない知識と資本家や権力に縛られない情報が集積されています。

ちなみに高尾山古墳のページはA4版で印刷すると29ページ、高尾山古墳に関する情報が網羅されています。

守る会は大沼市長宛質問書を提出しました H29/5/11(土)

「守る会」は市長あてに質問書を提出しました。これは「高尾山古墳の保存と都市計画道路(沼津南一色線)整備の両立に関する協議会」が推薦案としたB案(4車線のT字路案)の実現が困難として他の案も再検討するとの議会での答弁を受けたものです。

このB案は都市計画の専門家と国交省・文化庁などのアドバイザーによって構成された協議会によって推薦された案であり、「守る会」としても国指定史跡に向け最低限古墳を傷つけない案として了承できた案です。これに対し市長は回答に於いて「平成27年度の協議会に於いて、整備案Bについて、優先的に検証調整を進める事を推奨する意見が付されたため、まずは整備案Bから検証を行って来たが、

1.地域からの要望である、沼津南一色線に接続する古墳北側の地域内東西の道路の確保が困難である事。(地元自治会の要望)

2.沼津南一色線は4車線であり、T字の形状では屈曲部に於ける大型車の並走に於いて安全性の確保が困難である。(公安委員会の意見)

があるとして、他の5案の検討を再度行うと云うものです。他の案は片側トンネル案で工事費が嵩むことや、上下車線によって古墳が挟まれ国の指定史跡として認定が危ぶまれるとされた案です。

沼津のシンボルオブジェに高尾山の王のイメージ H29/3/18(土)

沼津工業団地協同組合事務所に高尾山の王をイメージしたシンボルオブジェが展示。

3月18日(土)沼津プラザ ヴェルデにおいて、沼津のシンボルオブジェのお披露目がありました。オブジェには高尾山古墳の被葬者をイメージした大王が沼津深海水族館のシーラカンスを思わせるロボットに乗り宇宙空間に飛び立つという、沼津の「古代」「深海」「未来」のストーリー展開によって構成されています。

このオブジェは沼津シンボルオブジェ制作委員会が市内在住のイラストレイター 田村映二氏に依頼し制作されたもので、今後は沼津工業団地協同組合事務所に展示されます。