最新 NEWS
長野「尖石縄文考古館」山梨「県立考古博物館」秋季見学会開催 R6/10/26
10月26日土曜日、「守る会」は秋季史跡見学会を催しました。見学会の目的地は国宝の「縄文のビーナス」や「仮面の女神」で有名な長野県「尖石縄文考古館」と「山梨県考古博物館」でした。参加人員は15名、朝7時半の出発で一路長野県の尖石縄文博物館をめざしました。天候はあいにくの曇り空でしたが富士山はその稜線をくっきりとあらわし、雨の心配はなさそうでした。
途中、中央高速工事規制の渋滞につかまり、縄文博物館への到着は30分の遅れ、少しあわただしい館内見学となりましたが、学芸員さんのビーナスや女神の発掘当時の詳しい説明を聴く事ができました。印象に残ったお話は縄文のビーナスの重さは約2.1キログラムで(一般的な新生児の体重が2.5キロ位から―2.5キロ未満は未熟児の基準)、当時の食料事情を考えると、生まれたばかりの赤ちゃんの体重に近いのではないか、手に抱いた像の感じもそれに近いとのお話が印象に残りました。
尖石を出、双葉サービスエリアで各自昼食。県立博物館には2時少し前の到着となりました。館内では昨年、楽しいお話をうかがえた学芸課長「野代さん」に、またご案内いただき、常設展示や屋外の銚子塚古墳を見て回り、話がはずみました。常設展の素晴らしい土器のほか、日本庭園のような国指定史跡、甲斐銚子塚古墳(墳長169m)はすがすがしく、雄大優美で皆の印象に残ったようです。
帰着は、ほぼ予定通りの5時半過ぎとなりました。
土器・勾玉づくりなど イベントを協力開催しました。 R6/ 8/ 3
8月3日(土)9時半より、沼津市民文化センター展示室において、守る会は沼津文化財センターと協力し、「むかしの世界へタイムスリップ」と題し、歴史イベントを開催しました。イベントは、高尾山古墳出土遺物のレプリカ展示、弓矢体験、夏休みの宿題相談など多彩で、守る会はそのうちの「土器・勾玉づくり体験」を担当しました。
会場となった沼津文化センター展示室の「土器・勾玉づくり体験」ブースは、10時前には小中学生親子で満席の状態、追加の作業テーブルが用意されるほどでした。
参加者は用意された勾玉や粘土(参加費用500円)を前に個性ある土器の作成や勾玉の削り出しに奮闘するとともに、弓矢や原体による土器の模様つけ体験などを楽しみました。
前会長・前副会長に国指定史跡決定の報告をいたしました。 R6/7/24
高尾山古墳の国史跡指定決定をうけ、古墳を守る会の役員ら9名は24日、会前会長 杉山治孝(享年86歳)、会前副会長 瀬川裕市郎(享年80歳)の墓・仏前に「国史跡指定決定」の報告をいたしました。両氏は高尾山古墳発掘の当初から、古墳の保全保存に尽力し、杉山氏は古墳所在の住民の代表として、瀬川氏は郷土資料館前学芸員の立場から、古墳取り壊しの道路計画の見直しと、古墳の保存を沼津市などに要請しつづけてきました、しかし惜しいことに、両氏は令和2年に相次いで他界し、先月にようやく今回の決定となりました。今後、両氏が望んだよう、古墳の損壊に結びつく現状変更は原則的に出来なくなり、古墳は沼津市民の財産として整備存続してゆくこととなりました。
沼津駅前にて「国指定史跡決定」の街頭宣伝を行いました。 R6/6/29
「高尾山古墳」国指定史跡決定!! R6/6/24
6月24日、文化庁の文化審議会において、「高尾山古墳」が新たに国の史跡に指定されることとなりました。沼津市にある高尾山古墳は、3世紀中頃に於ける東日本最大級最古級と見られる前方後方墳であり、指定は高尾山古墳が古墳時代の黎明期、日本の国家形成おける政治的・社会的情勢を知るうえできわめて重要な遺跡として評価されたものです。
沼津市に於いては、国指定史跡として縄文時代早期細石刃石器が出土した「休み場遺跡」戦国時代北条氏の水軍拠点である「長浜城址」北条早雲(伊勢新九郎盛時)の出世城である「興国寺城址」などの3つの国指定史跡に続く4件目の指定となります。これらの国指定史跡はいずれも日本史の画期を示す重要な歴史遺産として、沼津市民の誇るべき歴史として後世に受け継いで行かなければなりません。
今年度2回目の草刈りを行いました。 R6/6/20
春のフィールドワーク 長泉町「原分古墳・文化財展示館」を訪ねる。R6/3/17
高尾山古墳を守る会は3月17日(日)春のフィールドワークとして長泉町の「原分古墳」と「文化財展示館」を訪ねました。
17日朝9時半、御殿場線下土狩駅前にある「コミュニティながいずみ」前広場に集まった会員16名は、さっそく「コミュニティながいずみ」の一角にある「文化財展示館」を訪問しました。
文化財展示館には旧石器時代の石器から江戸時代の文物まで展示されており、学芸員 廣瀬さんの丁寧な説明にみな真剣に耳を傾けました。
特にこの地域では、今から3万3千年ほど前の旧石器時代の最古に位置するの石器が出土しているそうで、大陸より列島に渡って来た人々の生活が、この時期よりあった事を物語っています。また展示室内に置かれた数多くの縄文土器には、長野や山梨方面の中部高地の土器の特徴を示し、愛鷹山南東麓が古くから中部地域との交流があった事を教えています。
「原分古墳」は文化財展示館から南に歩いて13分程の新幹線の側道に位置していますが、ここからは馬具や太刀、鉄鏃などの大量の副葬品が出土しており、古墳の主が7世紀前半のこの地域の有力な首長のものであることを示しています。なお、現在の原分古墳は都市計画道路により移築復元された古墳ですが、復元された静岡県東部最大規模の石室の内部は思っていた以上に広く最大9.6トンの天井石は当時の築造技術の高さとその財力の大きさを感じさせます。ここでも学芸員さんの丁寧な解説に午前中の予定時間が瞬く間にすぎ、昼少し前の解散となりました。
R5年度 秋季役員研修会開催しました。 R5/12/10
12月10日(日)高尾山古墳を守る会は「2023年度秋季研修会」を開催しました。この研修会は役員の歴史学習と親睦を兼ねたもので、毎年春秋2回ほど実施しています。今回の研修は山梨県笛吹市の「釈迦堂遺跡博物館」と甲府市の「山梨県立考古博物館」の見学をおこないました。
当日は暖かく快晴の天候に恵まれ、一行7名は、2台の車に分乗し最初の訪問先である笛吹市の「釈迦堂遺跡博物館」に向いました。釈迦堂遺跡博物館は中央自動車道建設にともなって発掘された、旧石器時代から平安期にかけての遺跡で、その中でも、縄文中期の土器類や土偶は特に豊富で、1116個体の土偶の出土は「土偶の聖地」と呼ばれるにふさわしい質と量を誇っており、一行は土偶表情の豊かさや個性に、土器の繊細でダイナミックなデザイン・造形に眼をうばわれました。
昼食を挟んで、「山梨県立考古博物館」を訪れました。考古博物館は甲府市の北側の曽根丘陵地の裾に位置し、丘陵地一体では多くの古墳が発掘されています。考古博物館に隣接しては「甲斐銚子塚古墳」や「丸山古墳」が整備されており、歴史公園として整備された古墳は、市民に静かな時の流れを提供しています。
館内を訪れた私たち一行は学芸員(野代さん)の興味深く楽しい解説を受け、瞬く間の2時間を過ごしました。全ての展示をくまなく見る事が出来なかった今回の訪問でしたが、次回は会の会員を募り一日をかけてゆっくり訪問しようとの事となりました。
この日は天候にも恵まれ充実した展示や解説で本当に楽しい一日を過ごしました。博物館前の食堂の「ほうとう」もたいへん美味しくいただきました。
訪問の記録動画 下記ボタンを押して御覧下さい。
沢田小学校3年生(53名) フィールドワーク参加協力しました. R5/11/24
11月24日(金)「守る会」役員7名は、沢田小学校3年生(53名)の総合的な学習「沢田の宝をさがそう!」に参加協力しました。この学習は3年生の総合的な学習の一つで、沢田小学区内にある史跡を、地域の人々と共に訪れ、一緒に学習しようというものです。
コースは3つに分かれ、歴史発見コース(砲台公園・子の神神社・咳気神社・十二天神社)、古墳探検コース(長塚古墳・稲荷神社・山神社)、石碑の秘密コース(愛鷹神社・沢田学校碑・献身舎碑・東沢田石塔群)にわかれ、それぞれが約1時間半ほどをかけて歩き、役員が現地解説をしました。当日は天気はよかったものの風が強く、児童たちは帽子を飛ばされなどをしつつも、役員の説明を熱心に聞き入っていました。また、フィールドワーク学習の成果は、各グループでまとめたうえ、後日参観日に発表するそうです。
沼津駅南口イーラde前で街頭ビラ配布 R5/10/22
土器作り・勾玉づくり体験・開催 R5/8/5
高尾山古墳を守る会は、8月5日土曜日、沼津市文化財センター主宰の「むかしの世界へタイムスリップ」沼津文化財センター夏休み文化財イベントの「土器づくり・勾玉づくり体験」に企画運営に参加しました。
沼津文化財センターのこの企画は、市内の小学校高学年から中学生に向け、「沼津文化財センターを利用した文化財の普及啓発」をはかろうというもので、実施内容として、「弓矢体験」「火起こし体験」「土器作り・勾玉づくり体験」「いろんな土器を触ってみよう」「土器の接合体験など」など、センターを利用した多彩なイベントが実施されました。
守る会としては、これらイベントのうちの「土器作り・勾玉づくり体験」を担当実施。当日は朝9時からの開場に、作業机も早々に満席の状態。土器作り勾玉づくりともに、参加者たちは個性あふれる作品の仕上がりに喜びの声をあげていました。
守る会としては、このような「モノづくり」体験が歴史や文化に対する興味のきっかけになればと、今後も同様なイベントを開催実施してゆく予定です。
延び延びになっていた古墳の草刈り清掃を行いました。 R5/6/21
フィールドワーク 沼津古墳あるき R5/5/21(日)
2023年春期役員研修会を実施しました。 R5/4/30
4月30日(日)高尾山古墳を守る会は「2023年度春期役員研修会」を開催いたしました、この研修会は役員の歴史学習と親睦を兼ねたもので、今回は今年1月に開館した「静岡市歴史博物館」のガイドツアーと国指定史跡「賤機山古墳」見学という企画でした。当日は昨日来の雨風による悪天候で開催が危ぶまれましたが、8名の参加者が沼津駅集合の頃には荒れた天候も小康状態になり、静岡到着の頃には雨もやみ曇天の下のガイドツアーとなりました。
ガイドツアーでは静岡歴史博物館企画の『家康の城「駿府城」コース』に参加し、4名づつの2班に分かれ1時間半、駿府城内の解説をうけました。
印象深かったのは、発掘中の天守台の大きさやとその高さで、もし天守閣が残されていたのならば、富士山を背景としたその巨大な天守は、この地を訪れるた人々に家康の天下人としての偉容を知らしめるには充分すぎるものであったろうと想像しました。ガイドツアーの後には無料シャトルバスで静岡浅間神社に隣接する賤機山古墳を見学し、その後「静岡歴史博物館」を見学しました。歴史博物館からの駿府城址の眺めと富士山もいちだんと印象にのこるものでした。
第18回 市民歴史講座「高尾山古墳を発掘する」 開催 R5/2/5
2月5日日曜日、金岡地区センター大会議室で「高尾山古墳を守る会」主宰の 第18回市民歴史講座が開催されました。講師は元沼津文化財センター学芸員 高尾好之氏で、演題は「高尾山古墳を発掘する」と題され、氏の指揮のもと発掘調査された高尾山古墳を、80枚に及ぶ現場写真により、発掘当時の土の感触や発見の感動をそのままお話して戴きました。
高尾山古墳は試掘調査以前は「辻畑(つじばたけ)」古墳と呼ばれていたそうです。遺跡名称は遺跡所在地の旧字(あざ)名が使われる事が多く、この辻畑の名称もこの遺跡付近の字名であったそうです。しかし、この「辻畑」の字名、実は道路一本挟んだ北側の場所の地名で、古墳所在の字は「キタカタ」という地名になるそうです。そこで名称を変える事になったのですが、「キタカタ」ではあまりにも沼津らしくない名である、という事となり、古墳の上に鎮座する祠もあり、沼津を代表するお祭りのある「高尾山」の名称をあてたということです。本日の講演者のお名前「高尾さん」とは偶然の一致で、発掘調査指揮権の乱用ではないという、縁の深い話からはじまりました。
つづけて、発掘当初からこの古墳は前期古墳と考えられ、地下レーダーやレイザー測量等の最新技術をつかい、慎重のうえにも慎重を重ね発掘調査を行ったそうです。結果、東海以東に多い前方後方墳であり、しかも、最古級最大級という事となり、より一層の慎重さと責任がのしかかって来たそうです。
講演は多くのの土層写真により、発掘現場さながらに解説され、発掘現場の面白さを膚で感じ取れる有意義なお話となり、「掘師」を自認する氏の面目躍如の講演となりました。コロナ禍の中参加者は44名でした。
高尾山古墳整備に係る質問並びに要望書とその回答 R4/12/2
私たち高尾山古墳を守る会は、R4年11月1日に現在進行中の「高尾山古墳の整備」に関し、沼津市長(沼津市)あてに質問並びに要望書を提出しました。その回答がR4年12月2日にありました(要望書についての回答PDF参照)。
今回の要望書の回答に関しては、あらたな見解や約束はなされなかったものの、現在進行中の計画案に沿った範囲内の回答と受け止めました。
私たちは、行政の立場上、多くの業務がその実行中や決定後でなければ回答が難しいであろう事はわかります。しかし、市民が行政に対し声をあげ、要求や要望を根気よく働きかけて行くことが民主主義の根幹であると考えています。守る会は高尾山古墳が市民の財産として、より価値のあるものとなるよう努力するとともに、地域の歴史の保全と啓発につとめてゆきたいと考えてます。
フィールドワーク 沼津古墳歩き 11月23日水(勤労感謝の日)
沼津・富士・長泉にまたがる愛鷹山南麓は、旧石器時代から連綿と歴史を刻んできた遺跡の多いところです。高尾山古墳の位置する金岡地区には、高尾山の他にも首長級の古墳として、長塚古墳、子の神古墳などがあります。今回はこれらの古墳をめぐり、愛鷹山麓の古代史に思いをはせます。
※日時 11月23日(水・祝日)勤労感謝の日 ※時間 午前9時~12時
コース 金岡地区センター(9時集合)⇒高尾山古墳 ⇒長塚古墳 ⇒子の神古墳⇒明治資料館
※ コースは徒歩でめぐり2~3時間を予定しています。
※ 参加費 300円(保険料等)
11/22 雨天の為中止としました。来年3月に実施予定。
長塚古墳 昭和31年当時
参加申し込み 11月20日までに下記宛てにお願いします。
高尾山古墳を守る会 事務局
電話 055‐923‐3877 江藤幹夫 又はE-mail xd857322@cg8.so-net.ne.jp
金岡ローカルマーケットへ参加 R4/11/12
11月12日、JA南駿の製茶工場内の空き地で行われた金岡ローカルマーケットに会として参加しました。
15ほどの手芸や食べ物のブースが会場を取り囲み、歌や楽器の演奏も聴かれる中、守る会も会場の一角にブースを構えました。三方にパネルを巡らして高尾山古墳や整備計画の紹介をし、また子どもたちを対象としたスタンプラリーを行いました。最初はあまり関心を示さなかったものの、やがて大勢の小学生がやってきて大盛況でした。参加者にはミニチュアの勾玉などの参加賞のほか、古墳便りや金岡まちあるきマップや守る会の案内などを手渡しました。中には、古墳や歴史が大好きで会員になりたいという小学生もいました。少数ではありましたが、熱心にパネルをみている人もいて反響があったのはうれしいことでした。高尾山古墳や守る会のことをそれなりに知ってもらえたと思います。
11月とは思えないほどの暑さの中でしたが、スタッフは交代で、整備計画など一生懸命説明したり、応対したりしました。今後もこのような宣伝広報の機会があれば積極的に参加していきたいと考えています。
沢田小学校 フィールドワークに協力しました R4/11/2
11月2日(水)、「守る会」役員ら8名は沢田小学校3年生・58名のフィールドワークに協力参加しました。この学習は3年生の総合的な学習の一つで、沢小学区にある「沢田の宝」を地域の人々とともに学ぶというもので、区域内の見どころを3つのコースに分かれ学習しました。
コースはそれぞれ、歴史発見コース・古墳探索コース・石碑の秘密コースに分かれ、区域内の砲台公園や子の神古墳、長塚古墳や山神社、愛鷹神社や敬身舎碑を2時間ほど見て歩き、「守る会」役員らが児童たちに現地説明しました。学習した成果は後日「沢田の宝しょうかいプロジェクト」としてグループごとに発表会を開き感想を述べ、郷土に残る宝をみんなで守って行こうというものです。
勾玉作り教室開催 R4/8/10
8月10日(水)高尾山古墳を守る会は、金岡地区センター大会議室に於いて「勾玉作り教室」を開催いたしました。この教室はこの地域の小学生親子を中心とし、勾玉作りを通じ、古代歴史や「高尾山古墳」など地域の歴史に興味をもってもらおうと企画したものです。
当日、朝9時半には11組の親子と守る会会員の参加で会議室はほぼ埋まり、守る会会長の挨拶の後、沼津市文化財センターの学芸員の「勾玉」についての解説ともにはじまりました。勾玉作りは柔らかな自然石の蝋石(滑石)を紙やすりを使用してコの字やC型に削り、磨き上げ首飾りとするもので、予定時間の11時半すぎには、ほぼ全員が個性的な勾玉を首から下げる事ができました。
また、沼津には狩野川に掛かる黒瀬橋の袂に玉造神社があり、かつてこの付近には駿河玉造郷があったとも伝えられています。郷土史学習の一環として、子供たちの夏休み研究の一つとして、今後ともこのような活動を継続していきたいと考えています。
第17回 市民歴史講座 R4/7/24
コロナ禍や猛暑がつづく中、7月24日(日)金岡地区センター大会議室で第17回 市民歴史講座が開催されました。講師は珠流河国文化財調査研究所を主宰する小金澤
保雄 先生、演題は「スルガの王と駿河の主」と題し2時間余りの講演となりました。
「スルガの王と駿河の主」高尾山古墳の被葬者を知るにはまず、愛鷹山・浮島沼などを始めとする駿河の古環境がどのようなものであり、その生業はどのようなものであったのか考古学的資料から学ぶとともに。権力者像として文献の残るこの地域の権力者(鎌倉北条氏・小田原北条氏)を知る事によって、この地域に生きてきた権力者像をイメージし、高尾山古墳被葬者を浮かび上がらせるという楽しい講演でした。
北条時政(鎌倉北条)のそのルーツは、在京活動する軍事貴族の「京武者」で、伊豆の地に於いても京都にネットワークをもつユニークな氏族で関東への要衝である伊豆・箱根の地を押さえていたようです。また小田原北条もそのルーツは伊勢平氏で、韮山から箱根を押さえ城郭都市小田原を五代にわたり支配しました。このように、駿河の主は関東への交通の要衝である黄瀬川や箱根を押さえ、中央(京)とのネットワークを生かし頭角を表したようです。古墳時代の土器の分布からも、この駿河の地が関東や尾張といった広域ネットワークを築いていたことが伺い知れ、古墳被葬者の性格の一部が想像できます。コロナ禍の中参加者は26名でした。
「ぬまづの宝100選」高尾山古墳を推薦しよう!! R4/7
「ぬまづの宝100選」は平成23年度に選定されてから10年以上が経過しました、それから今日まで、沼津にも新たな多くの魅力が創出されています。また、沼津市では令和5年7月に市政100周年が到来します。そこで市は新たに「ぬまづの宝100選」を改選することとしました。残念なことに高尾山古墳は前回の100選には間に合わず選よりもれていました。私たちの「高尾山古墳」も保存整備計画はいよいよ着工し、国の指定史跡への手続きも開始されています。これを機会に「高尾山古墳」を沼津の誇る宝物として皆で盛り上げ沼津のナンバーワンの宝物として認知させましょう。
下のボタンより 「ぬまづの宝100選」投票リンクページへジャンプします。
守る会 イベント情報 R4/ 7月8月 予定変更
誰でもご自由に参加できますが人員確認などありますので、tel・mailでお申込み下さい。古墳の草刈り ボランティア 予定延期になりました。追ってご連絡致します。
高尾山古墳の墳丘および周辺の草刈り清掃を行います、貴重な文化財を守るボランティアです。
* 実施日 7月17日 日曜日 午前9時から12時 古墳北側集合
* 道具類 あれば、鎌、刈り込みばさみ、熊手、刈り払い機など。なくても可。
* 参加者は会負担の傷害保険などの員数確認などありますので事前にご連絡ください。
第17回 市民歴史講座
講師は、スルガの国文化財調査研究所を主宰する小金澤保雄氏です。高尾山古墳について興味ある話が聞けると思います。ご期待ください。詳細は改めてお知らせします。
* 期日 7月24日 日曜日 午後2時から午後4時
* 会場 金岡地区センター大会議室
* 演題 スルガの王と駿河の主
* 資料代として500円申し受けます。
夏休み企画 駿河玉造郷 勾玉作り教室
かつて沼津には駿河玉造郷という玉造に従事した人々の村があったと伝えられています、当時の人々がお守りにしていた勾玉をつくります。
* 対象小学生、(中学生以上の保護者を同伴して下さい。)
* 期日 8月7日 日曜日 午前9時半から12時 予定日変更 8月10日水曜日
* 会場 金岡地区センター第一会議室
* 参加費 勾玉材料一式 500円(参加申し込み時にセット数量をお申し込み下さい)
一式には玉の材料の滑石、下げひも、サンドペーパーがセットされています。加
* 持ち物 マスク、古布,新聞紙、鉛筆、やすり(あれば)など
* 申し込み期限 7月31日まで ただし、◆ 20組に達した時点で締め切り。
ichirow.ad@outlook.jp 足立 いつでも申し込み可:返信します。
055-923-3877 江藤 申し込み期間 7/28 ~7/31日 午後0時から8時まで
055-962-3752 力石 申し込み期間 7/28 ~7/31日 午後0時から8時まで
沼津駅南口イーラde前で街頭ビラ配布 R4/6/19
今年度1回目の古墳の草刈りを行いました R4/5/4
5月4日 古墳・草刈り清掃ボランティアをお願いします。 R4/5/4
高尾山古墳とその周辺の草刈り及び清掃協力(ボランティア)をお願いします。
日時は 令和4年5月4日 9時半より、古墳北側集合で,時間は午前及び半日程度です。
会員以外の一般協力者も大歓迎です。鎌及び清掃用具は持参、無くても結構です。
但し、傷害保険等(主催者側負担)の掌握がありますので、参加できる方は下記まで「草刈り参加」として5月3日までにメール下さい。
E-mail xd857322@cg8.so-net.ne.jp 江藤
文化財センターとの協議会 R4/4/21
高尾山古墳 を 新「ぬまづの宝100選」に!! R4/3/10
高尾山古墳出土遺物レプリカ展 金岡地区センター R4/2/16~3/1
第16回 市民歴史講座 が開催されました。 R4/2/13
2月13日 日曜日、金岡地区センターで守る会主催の第16回「市民歴史講座」が開催されました。
一昨年来のコロナ禍の中、会の講演会も思うようには開催できないのが現状ですが、講演会のこれ以上の先延ばしは会の運営上好ましくないとの判断され、コロナ禍中ですが、ウイルス蔓延に充分に注意を払った上での開催となりました。聴講者は25名でした。
今回の歴史講座は「沼津でも米作りが始まった」と題して、元静岡市文化財課職員の渡邊康弘さんに弥生時代の米作りについてお話を伺いました。
話は縄文時代の季節の移り替わりと伴にあった採取・狩猟の生活スタイルから、現代社会にまで連なる、計画的な生産管理を必要とし労働集約型社会を生みだした水田稲作の特徴からはじまりました。水稲の特徴としては1粒の米から数百倍から千倍まで増える生産量があり、連作障害を起こしにくい事などがあげられ。また集約的な労働力を必要とするため、暦の発生や数量管理、指導者のもとでの管理された共同作業などのシステムが成立したそうです。
また、印象に残った話として、下の写真の建物は沖縄の復元された高床倉庫だそうですが、登呂に復元された高床倉庫のように壁の壁面は持たずに、出入口は4本柱の中央部に梯子が掛けられ茅葺屋根の天井裏部に昇り、倉庫床部分は天井裏の天井板という構造になっているそうです、自分たちの既存概念はしばしばくつがえされます。また、種籾を貯蔵する壺について、壺は一つの子宮と考えられその中に籾を貯蔵することで稲の魂がより強靭になり増殖するという観念があったのではないかと話され、壺の形と古墳の形の類似、古墳というものと魂の再生という観念など、興味の尽きないおはなしの数々でした。
富士市 かぐや姫ミュージアム 秋季役員研修会 R3/11/21
守る会は古墳の草刈りを実施しました。 R3/9/22 ・10/20
高尾山古墳を守る会の会員8名は、9月22日(水)文化財センター職員の指導のもと高尾山古墳とその周辺の草刈りを実施いたしました。当日は午前に小雨がぱらついたものの午後は陽が差す空模様で、古墳周辺や墳丘部に生い茂った草や小樹木を刈払いました。午後3時に終了した作業ですが、一部狩り残した部分や草の処分を残したため、10月にもう一度草刈りと清掃を実施する予定です。
文化財センター職員の話ですと草刈りは年に数回は必要で、中々大変な作業という事で、今後は幅広い会員に呼びかけ、草刈りの協力をしてゆくことを約束しました。
11月20日(水)守る会会員8名は、先日狩り残した部分の草刈りや後片付けを午前9時より正午まで行いました。3時間弱の作業でしたが、古墳とその周辺部がみちがえるようになりました。
要望書の回答がありました。 R3/8/26
古墳だより 夏休み小中学生特集 発行 R3/8/11
守る会は、小中学生特集として「高尾山古墳を知っているかな。」を発行しました。この企画は金岡中学1年生の夏休みの課題に、金岡中校区内の古墳を調べて見ようとの宿題があるときき、これを機会に少しでも地域の子供たちに高尾山古墳の事を知って貰おうと発行しました。静岡県東部(東駿河)には多くの古墳が存在します。子供たちを含め父兄の方々にも、夏休みの行楽の一つに、古墳の歴史探訪をお勧めします。沼津市や富士市などの教育委員会 文化振興課などインターネットで検索していただけば地元の遺跡案内が見つかります。
下記ボタンで古墳だよりがご覧になれます。(PDFファイル)
守る会は市に要望書を提出しました。 R3/ 7/14
7月14日 高尾山古墳を守る会は沼津市に対し「都市計画道路沼津南一色線」の道路整備の進行状況及び高尾山古墳の整備保存計画の進行状況につき、報告を求める要望書を提出しました。
この要望書は、本計画が10年間という長期に亙るものであり、私たち市民に計画の進行状況が伝わりにくい事を憂慮し提出したもので、古墳を含めた市の文化遺産に関する取り組みや考えに対し一層の情報の公開と提供を求めたものです。
守る会は「文化財保存全国協議会」に団体加入しました。 R 3/6
上白岩遺跡・春期役員研修会 開催 R3/5/22
5月22日(土)高尾山古墳を守る会は「2021年度春期役員研修会」を実施しました。研修会は、地域の歴史を学び直し、今後予定される講演会や遺跡見学会の参考とする為と役員の懇親を兼ね実施するものです。今回は伊豆市にある、国指定史跡 上白岩遺跡・伊豆市資料館、とともに修善寺総合開館のジオリア(伊豆半島ジオパークミュージアム)修善寺温泉にある指月殿(北条政子が子、2代将軍
頼家の菩提所として建立)、修善寺大平の旭滝(ジオサイト)を巡りました。
当日は天気に不安があったものの、午前9時半に役員8名が金岡地区センターに集合し車2台に分乗し目的地にむかいました。1時間ほどで伊豆市資料館に到着、職員の解説を聞きながら館内を見学し、隣接する国指定史跡・上白岩遺跡を見学しました。上白岩遺跡は縄文時代中期の遺跡で、環状に配置された配石遺構は集団墓地であると推定されているものです。その後修善寺温泉場の指月殿・ジオパーク・旭滝を巡り、午後4時半頃の沼津帰着となりました、心配された天気も雨の落ちる事なく、研修会を終了しました。研修を通じ学び知った事を、今後の遺跡見学会等の企画運営に反映させ、会の活動の一層の活性化に結びつけたいと考えます。
3月28日(日)沼津歴史民俗博物館 見学会 R3/3/28
3月28日(日)守る会は沼津歴史民俗資料館の見学会を実施いたしました。当日午後1時半 沼津御用邸正門前には会員12名が集合しました。多少雲りがちの空でしたが、正門前の桜は満開、御用邸入場料100円を払い資料館見学に向いました。
沼津市歴史民俗資料館には、沼津市域(内浦・静浦・西浦)の漁労用具 2,539点が国の指定による重要有形民俗文化財として収集保存されています。この施設は、建築から50年近く経ち、建物の老朽化と、地震による津波の心配により、今年廃校になる内浦小学校に収蔵品の移転が検討されています。
沼津市の文化施設の貧弱さは市民の皆さんのよく知るところです。この見学会を機に歴史民俗資料館の持つ意義を再確認し、沼津市の文化行政の在り方を考える機会としたく見学会を実施したものです。
沼津市歴史民俗資料館の見学会 のお知らせ R3 /3
沼津市歴史民俗資料館の見学会 のお知らせ。
沼津市歴史民俗資料館の移転が検討されています。
沼津市歴史民俗資料館は昭和49年(1974年)に沼津御用邸記念公園内の本邸跡地に建てられ、沼津市域(内浦・静浦・西浦)の漁労用具や旧浮島沼周辺の湿田農耕用具などの民俗資料の収集・調査・展示を行っています。
会員のみなさんも御用邸見学の折、一度は見学なされた方も多いと思います。
資料館は建築から50年近く経ち建物の老朽化が進み、駿河湾を目の前に津波浸水区域でもあります。また展示収蔵品(館蔵資料2539点)は国指定の重要有形民俗文化財の指定を受けており、移転が検討されているわけです。
移転先の候補地は三津地区の沼津市立内浦小学校です。内浦小は来年度から西浦小、長井崎中と統合され長井崎小中一貫校に統合されますので、使われなくなった内浦小校舎を再利用する計画のようです。内浦小は内浦漁港に近く漁労具の展示には良いかも知れませんが長岡に抜ける山あいの道路(伊豆長岡三津線)は交通の便が悪く目立たない環境です。
沼津市の文化施設の貧弱さは市民の皆さんの良く知るところです。市区域が東西に長い為かそれぞれの施設は分散し、沼津市の魅力を何ら発信できるものとなっていません。
今回の歴史民俗博物館見学会において、沼津の漁労・農業の歴史をふたたび学習し、歴史民俗館の持つ意義を再確認して、沼津市の文化行政の在り方を考える機会としたいと考えます。
尚、資料館収集品には現在NHK大河ドラマ放映中の『晴天を衝け』の主人公 渋沢栄一の孫 渋沢敬三氏が内浦地区で収集した古文書も保存しています。
沼津市歴史民俗資料館見学会
日時 2021年3月28日(日) 午後1時30分
場所 沼津御用邸記念公園 入口前集合
会費 公園入場料 100円
■ 当館学芸員に施設収蔵品の説明をしていただく予定です。
■ 参加希望者は人数掌握のため、下記電話宛ショートメール等でお名前をお知らせ下さい。連絡先 080‐5122‐1654 江藤 幹夫
沼津市議会議員と懇談 R3/1/20
1月20日、高尾山古墳を守る会は沼津市議会議員4名と金岡地区センター小会議室に於いて懇談会を行いました。これは、市の道路計画と古墳保存の両立案「みちにわ」案の進捗に対し、会の運動方針や活動をどの様に策定してゆくべきか、市議の皆様に助言と協力を求め、会の呼びかけによってひらかれたものです。参加して戴けた議員の皆様は沼津市議 梅沢博
議員 岡田しんいち 議員 川口三男 議員 平野けん 議員でした。
簡単な自己紹介に続き、現状報告として、会が昨年8月に市に提出した要望書とその回答から説明がなされました。
要望書の骨子は、トンネルや橋梁、古墳の保存工事といった、各工事の工程期日を教示してほしいというもので、具体的な工事日程を知ることで、時宜にかなった提案や問題提起を、会の活動の一つとして行おうとするものでしたが、市の回答では設計施工手順の決定にはまだまだ時間がかかるという事で、この事案は保留とせざるを得ず。また、コロナ禍の中、講演会なども開催が難しく、会の活動が停滞せざるを得ない状況が市議に説明されました。
協議では、岡田議員より、国指定史跡に関し、令和3年末に設計を終え、具申案を4年には作って、令和5年には国指定を受けたいとの話を担当課に聞いた。との報告がありました。
川口議員よりは、着工に当たっては生活道路の確保などを求めてゆくが、今後、申し入れなどをする場合は道路建設課や文化振興課としてゆくのが良いとの助言があり、沼津の町づくりでは文化にかかわる拠点が点で終わっている、それを線や面で広げて行くことが必要SNSやフェイスブックなどで若い人とのつながりも大事だとの指摘がありました。
また、沼津御用邸内にある歴史民俗資料館の内浦小への移転問題について、文科省の「みんなの廃校プロジェクト」に乗って、歴史民俗資料館として建てられた建物から廃校利用の不便な小学校に移転するのは歴史軽視もはなはだしく、きちんとした資料館の建設が望まれるとした意見に、梅沢議員より、市当局と会談の場を設定するとの約束がありました。
平野議員よりは市民の声をもっと広げて行くことが大事、展示施設を作らせるだけでなく、その維持や管理までかかわって追及してゆき、それを守る会などでやってゆくのはどうだろうとの提案がありました。
一時間半ほどの会談でしたが、歴史民俗資料館移転に対する具体的活動案なども出され、有意義な会となりました。
2021年 狩野川からみた富士山 会員のブログ R3/1/1
2021年1月1日 初日の出を浴びる富士と沼津市街, 狩野川
タカオウと伊豆のジオをイメージしたイラスト・カレンダー(ぬましん) R2/12
本年8月7日に提出した要望書の回答が市よりありました。R2/10/26
高尾山古墳を守る会が、都市計画道路沼津南一色線と高尾山古墳保存計画に付き、本年8月7日に提出していた要望書の回答と説明が、市教育委員会 文化振興課よりありました。
回答書は市教委 文化振興課の森剛彦課長ら担当職員3名から、守る会々長および副会長ら3名に直接手渡され説明されました。
会の要望書の骨子は、トンネルや橋梁、古墳の保存工事といった、各工事の設計・着工・完成等の具体的な進行予定を具体的な期日をもって回答してほしいと要望したものでしたが、現状では、トンネル・橋梁どちらから着手するかも検討中の状況で、設計・施工手順には2年間の時間が必要とのことでした。
また、現時点では道路予算は明示されているが、古墳の保存費用に関しては示されていないとの質問に対し、共通認識としての国指定に向けての申請は決まっていて、今「高尾山古墳国史跡指定具申書作成検討委員会(仮)」のメンバーの検討をしている、道路設計ができる頃には文化財は文化財としての設計に入る、国史跡に指定されると整備費用の半分が国、更に残りの三分の一が県の負担となるとの説明でした。また、社務所の移転の見通しについてただしたところ、現時点では難しいところもあるが、「みちにわ」案の全体の骨子、基本案をベースとして大きな変更はしないとのことでした。
7千7百万円以上ある、ふるさと納税の使途について質問したところ、発掘された副葬品のレプリカ作製などにあてられていると回答がありました。古墳の活用の問題では、レプリカ作成は古墳の活用計画の一環であり、これらを活用した巡回展や、散策マップを活用した史跡めぐりを計画している、なお、文化庁から文化財地域活用計画の策定を求められていて、地域との連携や情報提供、イベントの活用なども考えているとのことでした。
最後に、草刈りなどの共同作業に会も協力してほしいとの要請があり、今後の保存整備には相当の時間もかかることから、これからも地元と行政の両輪で整備や宣伝、活用を進めていくこと、継続して協議をしていくことを確認して説明会を終了しました。
画像をクリックすると拡大します。
第十五回 市民歴史講座 が開催されました。 R2/10/18
演題は「38000年前頃、愛鷹山で旧石器人の生活が始まった」と題して、静岡県考古学会会員の笹原芳郎先生が講演して下さいました。
愛鷹山南東麓は全国的にみても旧石器時代の遺跡が多く密集する場所だそうです。その中でも市内井出丸山遺跡は日本で最も古い遺跡の一つで3万7千5百年前の遺跡と測定されるそうです(同年代として熊本県石の本遺跡がある)。日本の列島に初めて現生人類が渡って来たのが3~4万年前と推定されていますので愛鷹山麓には列島に渡って来た最初の人々の生活の場があったようです。
このような、古代の年代を推定する根拠の一つに地層があります。愛鷹山麓は富士山の隣に位置していますので、噴火で積もった火山灰ごとの地層が分かりやすく、また層が細かく、全国の時代区分の指標になっているそうです。この地層区分の確立に、守る会前副会長
瀬川裕市郎氏 も尽力したそうです。
このあたりの、地層をよく見ますと黒色帯と呼ばれる黒い層が何層も重なっています。この黒色帯には人間の生活の痕跡が何層にも重なっており、この黒色は植物等の痕跡とされていますが、何者らからの野焼などの痕跡ではないかとの仮説もあるそうです。
また、日本の旧石器時代初期の石器として台形様石器と呼ばれる、槍の穂先が尖っておらず、平らになっている石器が見受けられます。この台形様石器とセットになって石器の先が石で磨かれた、磨製石斧が出土するそうです。愛鷹地域でも磨製石斧が見つかっておりますが、この時代に磨製石斧が見つかっているのは、日本とオーストラリアしかないそうです。ちなみに世界的には磨製石斧の出現は旧石器時代ではなく、後の新石器時代のものとされています。
この他にも、先生自身のDNA検査では先生の祖先は7万年前、アフリカを発ってアラビア半島・インド・マレー・フィリピン・沖縄・九州・この地とたどれるそうで、私たち体の中に太古からの歴史が刻まれていることがわかりました。
2時間にわたる興味深いお話の数々。コロナ禍の中 35名の参加者でした。
新会長選出さる R2/10/18
10月18日 市民歴史講座に先立ち、去る8月8日に他界した前 守る会 会長の後任を選ぶ、臨時全体会議が開催されました。会議では選考委員より、会員の
鈴木 博氏が推薦され、会議参加者の全員一致をもって会長に決定いたしました。
瀬川副会長 追悼文集発行 R2/7/15
道路計画案に質問と要望 市の回答 R2/7
本年3月に市において決定された、都市計画道路沼津南一色線・高尾山古墳整備計画の『ふるさとの風景をつくる「みちにわ」』の二次提案書が公開されました。
二次提案書に対し、守る会で検討した結果、会員からいくつかの意見や疑問がだされ、会では4月27日、古墳整備と道路計画の一層の充実を求めて、計画案に対する質問と要望を市に提出し、6月9日に市からの回答を得ました。
守る会の質問や要望、および市側の回答の要点は、次のようなものでした。
1.古墳北側の展示施設の規模は?
答:展示施設は古墳の眺めを楽しめる居場所としての参考提案、古墳整備計画と合わせ検討。
2.「みちにわ」案におけるバリアフリーへの配慮は?
答:空中歩廊や周濠など、古墳整備計画とあわせ検討、使いやすい施設となるよう検討。
3.橋梁下の通路往来(神社境内と古墳)の往来は?
答:古墳くびれ部には2mの空間があり通行が確保されている。
4.古墳北側のバスなどの駐車場台数は?
答:見学者だけでなく子供の遊び場として地域の使い勝手のよい空間を想定、大型バスについては明治資料館と連携して駐車を考えている。
5.江原交差点歩道橋の活用と電線地中化は?
答:歩道橋を展望スペースとするには関係機関との協議が必要、周辺との調和や古墳の眺望を考慮し良好な施設となるよう検討。
電線の地中化は静岡県無電柱化推進計画に位置付け、道路整備と併せ行ってゆく。
6.古墳の復元は?
答:本設計競技は「橋梁・トンネル、道路付属物等の道路デザイン」に係る提案が主体。古墳や周辺道路については参考提案で、古墳西側の復元を前提としたものではないが、将来的復元も想定し現状保存が可能となる道路デザインの提案を受けたもの。
国史跡指定は保存活用計画に沿った整備が求められ、国史跡指定後に保存活用計画を策定する。
7.古墳西側市道(市道1668号線)の一方通行については?
答:市道1668号線、江原交差点から古墳北側(市道1672号線)交差まで車道4m歩道2mの北方向への一方通行を想定。
8.古墳北側市道1672号線と沼津南一色線交差点の信号機については?
答:交差点計画、信号機の設置について管理者の警察と協議を進める。
9.古墳を宣伝する案内表示・標識は?
答:設置については関係機関との協議が必要、古墳整備とあわせ検討。
10.計画案に対する地元との協議は?
答:協議、説明会は適時に開催している。神社社務所移転については現状では難しい、地元の方々の意見を伺いながら検討してゆく。
11.市民に対する説明会の開催は?
答:整備案については国史跡指定後に具体的な検討を進めるが、専門家のみならず地域住民などの意見を伺いながらよりよい整備となるよう進めてゆく
12.地元に対する説明会の開催は?
答:地元自治会には道路整備と古墳保存の両立について理解協力を得るため、事ある毎に説明会を開催してきた。コロナ感染予防の問題もあるが、今後もその都度開催してゆく。
13.ふるさと納税の活用については?
答:令和2年1月末現「高尾山古墳の保存・活用のため必要な整備に関する事業」への寄付金額は7千769万4千円、古墳の保守管理費用や出土品レプリカ作成などに使用、今後も古墳の保護や整備などの費用に充てさせていただく。
今回の私たちの要望・提案事項に対し、市側は丁寧に回答していますが、今更のように、この回答の根幹が道路計画にある事を感じざるを得ません。
確かに、この「みちにわ」道路計画案に於いては古墳は傷つけられずに、利活用に於いても工夫されている点や、今後の展望も感じられます。しかし、回答では、古墳の整備活用に関する現実的要望・提案に対し、今後の「検討」や「予定」というあいまいな語句が目立ちます。確かに、この工事が今後9年近くの歳月を要し、計画案にもられた古墳や周辺道路などの整備は、トンネルや橋梁工事の終了をもって着手せざるを得ず、細目については「検討」「予定」と答えざるを得ないことは理解できます。しかし、本来の計画の骨子は「沼津市の南北都市軸を結ぶ主要幹線道路の完成」と「高尾山古墳の保存と活用」の両立を図るためのものです。道路計画も古墳整備も同等の重さをもった計画であることを念頭に、市は常に、古墳の整備活用と道路工事を併行して考慮する姿勢を、明確に示してもらいたいと考えます。
私たちは、今後もさらに高尾山古墳の望ましい整備のために、意見収集や調査を行い、市へ提言してゆきます。皆様のご意見を「高尾山古墳を守る会」におよせください。
高尾山古墳 都市計画道路沼津南一色線 整備案決定 R2/3
昨年来検討されて来ました、高尾山古墳および都市計画道路沼津南一色線に関する設計競技において、2月末最終審査会が行われ、審査に残った4案の内から、受付番号1番の
ふるさとの風景をつくる「みちにわ」が最優秀案として選定されました。
基本コンセプトを「みちには」と題したこの案に対し、古墳の保存と活用という観点から評価してみると、
*古墳を跨ぐ橋梁に沿って空中歩廊と呼ばれる通路が設けられ横から古墳を眺める事ができる。
*橋梁が周濠部分を含めた古墳全体を跨ぐ構造になっており、古墳に対する毀損がない。
*神社の社務所を移転し、土橋や周濠などの古墳区域が広げられる。
*橋桁を極力薄くし、桁高を低く抑えるなど橋梁による威圧感を少なく配慮されている。
*古墳西側の道路による欠損部分について将来の復元を期している。
など、古墳のより良い整備と利用を求める私たちにとっても評価できる計画である一方、
◎小学校などにおける郷土学習や社会科見学等、社会教育を考慮した場合、
*北側広場の展示室に解説案内所として、小学生2クラス程度の人員に説明できるスペースと、ボランティアなども利用できる、公園管理室などの設備が欲しい。
*児童や見学者が利用するバスなど、大型2台程度が駐車・待機出来るスペースが欲しい。
◎また、古墳のある街として市民が日常的に古墳を感じられる場として、
*江原交差点歩道橋の創造的活用、周辺の電線の地中化は勿論ですが、通勤・通学や散策など日頃の生活の中から古墳を身近に感じられる場として、歩道橋にも解説板の設置やベンチなど、古墳や神社と一体になった創造的展開を求めます。
◎沼津のランドマークとしての古墳、
*古墳の作られた当時もそうであったように、古墳は沼津市街への玄関口であると同時に沼津のランドマークにもなります。外から来た人が「沼津に着いた」と感じられ、外から帰ってきた人が「沼津に帰ってきた」と感じられる表示やサインの設置を要求します。
◎高尾山古墳の在った時間は、いまの私たちの時間よりはるかかなたに遡ります、
*遺跡を目先の利便性や経済性だけで破壊すると2度と私たち手には還ってきません。現在の工事予定範囲は、古墳のほぼ4分の3です。古墳西側の市道部分や住宅によって失われた部分も現状維持しつつ、将来的に古墳の全景を復元すべく長期的展望が望まれます。また古墳の規模を知るためには、失われた部分の表示も欠かせません。
◎高尾山古墳の、保存活用に対するふるさと寄付納税額が7200万円あると聞いています。
*この寄付金は全国の歴史愛好家や有志によってなされたものと考えます。これら人々の意志に応える歴史資料館の建設を望みます。愛鷹山麓は旧石器時代からの日本有数の遺跡地帯であると同時に、高尾山古墳はそのシンボルとも思えます、寄付者の志に真に向き合う対応をお願いします。
応募番号1番 ふるさとの風景をつくる「みちにわ」
3月の市民歴史講座・延期のお知らせ
3月29日に予定されていた 市民歴史講座
「愛鷹山山麓で4万年前頃旧石器人の生活がはじまった」 講師 笹原芳郎氏
は新型コロナウイルス感染防止のため 延期いたしました。
またのご聴講をお待ちしています。
沼津南一色線公開プレゼンテーション開催 R2/2/8
2月8日(土)沼津駅北 プラザヴェルデ301・302会議室に於いて沼津市役所による、都市計画道路沼津南一色線 設計競技公開プレゼンテーションが行われました。
この公開プレゼンテーションは昨年6月に行われた市の道路案募集により、応募7案のうち審査を通過した4社の競技案を、競技者による公開プレゼンテーションとして公表したものです。
プラザヴェルデの会場は100名ほどの定員とされていましたが、座席は満席、市民の関心の高さがうかがえました。
発表に先立ち頼重沼津市長より、令和の最新の建築物と古墳という古代のコラボレーションは興味深いものがある、との挨拶がなされ、プレゼンテーションが開始されました。
発表順は審査番号で4案・5案・1案・2案の順で行われました。
4案の発表においては、基本コンセプトである「築土構木に立ち返る」とのコンセプトに加え、「スルガ古墳ミュージアム」という概念が付加され、土盛りされた橋台部分のなかにミュージアムスペースを作り込むという独自の案が際立ちました。また古墳をなぞる回遊動線をもうけるなど古墳を主にした計画案であると見受けられました。
5案では古代舟運の拠点としてのシンボルであった古墳を、現代沼津のエントランスとしてよみがえらせ、古代から現在までのシンボルとして地域の活性化をめざすとして、他の案にはない古墳北側の市道と計画道路を立体交差とし、アクセスをスムーズにしていました。また、立体交差により生じた桁下空間は広く、古墳と神社をつなぐ空間を創出し、祭典などに利用されるようです。
1案はふるさとの風景をつくる「みちにわ」というコンセプト。日常の暮らしとともにある古墳。その古墳を日常的な風景として感じられる歩道を橋梁と一体化して設け、橋梁の遊歩道を庭を歩くように使ってもらうというコンセプト。
また祭典空間としての橋梁上の積極利用や、現在道路によって失われてしまっている遺跡部分の将来的な復元も視野に入れた考え方は未来にも古墳を残すべきという方向性を感じました。
2案は伝承の道‐古代と未来をつなぐ‐とのコンセプトで、比較的軽量そうな橋梁フォルムは古墳に対する圧迫感が少ないように感じられました。ただ、他の案においては現存する社務所がいずれも移転され、古墳と神社の空間的一体感を創出していたのに対し、この案では社務所が現在のまま残され景観の妨げになっているように見受けられました。
休憩をはさんで引き続き、提案者と審査員の質疑応答が行われ、「遺跡の中に橋脚を建てる案があるが、遺跡の棄損に見合うだけのプラス面を教えてほしい」「社務所の移転を前提としている案があるが、移転できない場合も考えてあるのか」「谷戸川の利用に付き防災安全面はどのようになされるのか」「展示施設にはどのように力を入れてゆくのか」などの質問がなされました。
なお、審査員による審査結果は、3月上旬市のホームページに発表されます。
市民歴史講座が開催されました R2/1/26
1月26日(日)金岡地区センターで恒例の市民歴史講座が開催されました。
講師は前回に引き続き静岡県地学会東部支部の増島淳先生でした。
講演は今年1月にニュースで報じられた「チバニアン」の話から、チバニアン(千葉時代)とは77万年前から12万年前の時代の地層で、地球の磁極が最後に逆転した時期の地層。日本の名前が初めて地質年代区分(国際標準模式地)に採用されました。地球の地磁気は南北常に一定なのではなく何回も逆転しているそうです。
また、昨年来著しくなってきた異常気象や温暖化にふれ、地球は10万年単位で暖かくなったり寒くなったりしているが、20世紀後半からの気温上昇は異常で、温室効果ガスに起因してるのではないか。
海面の高さについてみても100年間で20センチの上昇がある。
40万年前からの二酸化炭素の量をデータで調べると、もはや自然の状態ではなく、人間の排出する二酸化炭素は大気中に長期にわたり残存し、地球を温暖化する原因となっているそうです。
浮島沼などのもともと低湿地であったところは将来的に気候変動の影響を大きく受けます。
浮島沼は富士川により運ばれてきた山梨方面の砂礫が沿岸流によって沖積し、その上に砂がたまり富士川から御用邸まで伸びる砂洲となりました。そして、愛鷹山との間に潟湖を形成し、徐々に沼地や湿地をつくり、排水路や客土によって現在のようになったそうです。
最後に、地球の気候は常に変動している、現時点では地球は急激に温暖化している。私たちできることは何かと しめくくられました。
訃報
高尾山古墳を守る会 副会長 瀬川裕市郎 儀
令和二年一月九日 早朝 八〇歳にて疾患により永眠いたしました
ここに生前のご厚誼に深く感謝申しあげるとともに謹んでお知らせいたします
私たちは、コンペ案、受付番号4案を支持します。 R1/12/1
高尾山古墳を守る会は、都市計画道路沼津南一色線工事設計に関し、古墳の形状がそのまま視認できる上下線トンネル案を主張してきましたが、そのほかにも次のような要求をしてまいりました。(上下線トンネル案については市側の譲歩は望めないと判断しました。)
第一に、古墳をこれ以上傷付けない事。高尾山古墳の国史跡指定申請を早急に行う事。を前提に、
※ 高尾山古墳の最大の特徴である、前方後方墳の形状がはっきりわかるよう整備すること。
※ ガイダンスセンター(資料館)等の施設を設けること。
※ 古墳を眺望できる場所を作ること。
※ 過去の道路工事などで失われた部分を修復すること。
などです。今回、このような視点にたって一次コンペ通過の4案を検証してみました。
まず、私たちは古墳の範囲を墳丘を主体に周溝部分を含むものと考えています。墳丘および周溝に橋脚などの構造物を設置することに賛成できません。(受付番号2案(今後受付番号は省略)及び5案は一部毀損)
次に前方後方墳の形状が視認しやすい設計になっているかですが、現在古墳と神社の間に社務所が建っており古墳と神社を2分しています。古墳と神社はもともと一体であり、社務所の建っている場所はもとは周溝の一部です、従って社務所を移転し周溝部分や陸橋を復元することがより望ましいと考えます。(4案もしくは5案が望ましい)
また橋桁の形状や厚みは古墳の景観を著しく左右するものと思え、5案の船底形の桁や4案のカウンターウエイト式の翼壁には魅力を感じます。
設計案においてガイダンスセンターに触れているのは4案だけです。規模の問題はさておき、高尾山古墳の歴史的価値を伝えるためには、センターは不可欠のものです。古墳の後背地である愛鷹山南東麓は日本最古の旧石器時代の遺跡をはじめ数知れない遺跡が存在し、棄損されてきました。愛鷹山麓の旧石器・縄文・弥生・古墳時代のシンボルが高尾山古墳なのです。その足跡をつなぐガイダンスセンター(歴史資料館)はぜひ必要です。
また、古墳というと多くの人が前方後円墳を思い浮かべると思いますが、私たちが歴史で学んできたのは畿内の巨大な権力者の墓だけだからです。その為にも日本の国の統一前夜(?)に、地方の首長が作った前方後方墳の形を俯瞰できる高所からの展望台は必要です。高みから見ると云う点では空中歩廊を1案では設けていますが、2案4案の展望施設では不足を感じます。市のコンペ要項には江原交差点の歩道橋についても評価の対象外とするも、提案に含めることは妨げないとあります。古墳の写真を撮り続けている管理者にとっては、歩道橋は古墳を眺めるには絶好の場所と考えます。次の提案では展望施設を併設した歩道橋の積極的活用も視野に入れてもらいたいと思います。
これらの事より、今回のコンペ案においては、受付番号4案が私たち高尾山古墳を考える会の考えに近いものと思えます。
※ 私たちの考えに近い、受付番号4案に賛同出来る方は。市のホームページのアンケートにご協力下さい。下のR1/11の記事にリンクが設定してあります。宜しくお願いいたします。
コンペ案一次審査が終了、通過した4案が公表されアンケートが募集されています。 R1/11
沼津市による都市計画道路沼津南一色線設計競技(コンペ)の一次審査が終了し、応募7社の内の4社の一次提案書が通過し、沼津市役所ホームページに公表されアンケートが実施されています。
このアンケートは設計競技実施委員会の評価として反映されるものではありませんが、参考意見として委員会に提供されるそうです。市民や歴史に興味ある方は、ぜひ市のホームページを御覧いただき、皆さんのご意見を市役所にお届けください。
4社の一次提案書の中には、会にとってもなるほどと、示唆に富む部分も多く、素人では気が付かない提案もあります、皆さんも審査員になったつもりで提案書をお読み頂ければ新たな発見があるかも知れません。尚、アンケート実施期間は12月6日(金)17時までだそうです、市のホームページにアンケート用のページも用意されています。
また、令和2年2月8日(土)には二次評価実施委員会が公開プレゼンテーションで行われる予定です。
上のボタンは沼津市役所ホームページにリンクしています。ページ中の ▶受付番号1,2,4,5と書かれたpdf原稿が第一次審査を通過した計画案です。
歴史講座 「愛鷹山南東麓のジオと歴史」が開催されました。R1/11/17
11月17日(日)高尾山古墳を守る会恒例の市民歴史講座が金岡地区センター大会議室で行われました。講師は増島淳先生(静岡県地学会東部地区代表)、「愛鷹山南東麓のジオと歴史」と題し、地元高尾山古墳の背後(北)に広がる丘陵地についてお話いただきました。
お話はまづ、ユーラシア大陸の東端にあって、プレートの沈み込みによって、大陸の端が分離されてできた日本列島の成り立ちから始まりました。そして列島のはるか南の海底火山群がフィリピン海プレーの北上とともにやって来て、本州にぶつかってできた伊豆半島。富士山や愛鷹山の形成。また、アフリカで生まれたホモサピエンス(現生人類)が5~10万年前に全世界への移動と拡散を開始したという、スケールの大きい話です。
そして十数万年前の愛鷹山の一連の噴火による火砕流によって愛鷹山南東麓になだらかな丘陵地が形作られます。ここに列島に初めて、私たちの祖先とも考えられる人々が移動してきます、3万5000年ほど前の事です。その後、縄文土器に代表される1万年ほど続く縄文文化がたくさんの遺跡をこの地に残し、そののちの弥生時代に、人々が灌漑が容易な低地に住み始めるまで、古代の人々の生活がこの丘陵にありました。
古代律令国家のもとでは牧がこの南東麓に開かれ牛や馬が飼育されていました。そして又近世江戸時代になり牧は復興され明治政府に引き継がれます。そして現在、ここ愛鷹山南東麓は新幹線や東名高速道路が走る日本の大動脈となっているのというものです。
9月10日守る会は市担当者との話し合いを行いました。 R1/9/10
9月10日、高尾山古墳を守る会8名は市議会議員2名とともに、都市計画道路沼津南一色線の整備担当者(街作り統括官ら7名)との話し合いを行いました。これは6月市議会で道路案コンペ募集要項が発表され、7月に募集が開始されての計画の進展に対し、私たち守る会の要望を市に提示するとともに、現段階での計画の進捗状況や市の方針を聞くために開かれたものです。話し合いに際し、市議より「文書による質問回答だけでは双方の意思疎通が図れないので、直接会って意思の疎通が図れるようにその仲介をする」とし、守る会会長より「沼津のシンボルとしての高尾山古墳の現地保存、国史跡指定の実現を図ってほしいく、進捗状況を示してほしい」。副会長より「守る会が希望するのは上下線トンネル案であり、当局案は納得しかねるが、コンペ案が実施される時点に至り、当局案はやむを得ないと考える」として、資料館建設を中心に次の5点を質問・要望した。
1.ガイダンス施設(資料館)
古墳の価値を踏まえたガイダンス施設として、常駐の解説員を置き、旧石器時代からの遺跡の宝庫である愛鷹山麓の資料館をつくってほしく、学習や憩いの場として利用できないか。
2.ふるさと納税の活用
納税額が7000万以上と聞いている、納税者の気持になってどのような使途を考えているか。
3.展望個所の確保
展望デッキのようなものは考えているか。
4.整備方針
古墳西側の欠損部分の復元や、周辺部分の用地買収を含めた整備範囲の拡大は考えられないか。
5.市民アンケート
コンペ一次評価通過作品についてアンケート実施とあるが、アンケートを二次の提案書に反映させるのか。
これら要望・質問に対し担当者からは
※ガイダンス施設は必要、コンペで検討されるだろう。資料館建設は意見として伺う。
ふるさと納税については、古墳の保護シートや遺物のレプリカなどに活用、展望施設についてはコンペ案で提案されることもある。整備において周辺の用地買収などは考えていない。
(文化振興課課長)
※市民アンケートの考えは審査委員にゆだねる、ふるさと納税は古墳と道路建設で活用させてもらう。(道路課)
また、守る会より、「すべてトンネルというわけにはいかなかったのか」との質問に対し「上り線、トンネルのすぐ先に交差点は交通安全に懸念、新しく作る場合は懸念のあるものは作れない」「橋脚を周濠に建てることは文化庁で了解している」との回答だった。
さらに守る会会員より、「橋梁を作らなくても良い案があればOKなのか、全体像を把握するための展望施設をのぞむ。高い場所からの眺望は欠かせない。避難場所にも他のイベントにも活用できる」「古墳は沼津の財産として受け継いでいくべきなのに、知らない子供たちもいる、道路だけに注目するのではなく古墳の活用を考えたい」との意見がだされ、最後に市議より「今回の要望や提案をぜひ生かしてほしい、遺跡群というような発想もなるほどと思う。国指定も道路の完成を待たずに早く、文化庁との相談を。今後も懇談を続けたい。市議が仲介したい。」と締めくくられた。
市議会議員・マスコ関係者との懇談会 R1/8/28
8月28日 高尾山古墳を守る会は金岡地区センターで沼津市議会議員4名にマスコミ関係者を交え懇談会を開催いたしました。これは先の6月21日に沼津市より市議会に提出された「沼津市都市計画道路沼津南一色線道路計画等に関する基本計画検討委員会」の報告書をうけて、私たち守る会の今後の活動方針と立場を理解いただくとともに、市議会議員やマスコミ関係者の力をお借りして、新たな視点から私たちの要望を実現化するために開かれたものです。
守る会は沼津市へ、古墳を傷付けない事を前提に、古墳を早急に国史跡指定にすること、古墳をなるべく往時の姿に復元すること、古墳を利活用できる施設の建設を要望したいと考えています。このような要望に関して、共産党の川口議員より、要望の程度に開きはあるものの、市当局も基本的にはそのような考えをもっており、市民も同意するのではないかとの指摘がありました。また、立憲民主党の梅沢議員より、高尾山古墳が残ることになったのは本当によかったと思う、議会への働きかけとして会派ではなく個人議員を尊重して議員連盟を作るよう働きかけたらどうか、そして高尾山を守り活用するという一つのテーマで政策提案を進めてゆくように、との提案がありました。
また、地元の人々を取り込んでゆく必要があり、地域全体との運動を考えるべきです。要望書や回答書にしても、議員が同席すればお互いの理解が進むのではないか、市としても皆さんが主人公で話し合いをしてもらい、市当局はちゃんと聞きますと約束をしている。との意見がありました。
また、マスコミ関係者の方からは、もっと具体的に計画を出してゆかないと、との指摘もあり、私たちも、保存と活用に向けた具体案の提示の必要を感じました。
都市計画道路沼津南一色線の設計競技募集要項が発表され、道路計画と古墳の保存の両立を目指すとした市の案も、いよいよ実現化の段階に入りました。橋梁案は承服しかねるものの、先の基本計画書にもられた「地域の歴史を重んじ、地域のつながりを大切にする」という基本理念に同意し、私たち守る会も、古墳の積極的利活用を提案していきたいと考えます。その為には、私たちの活動を今一度、地域やみんなの声が聞こえる、夢のあるものに変えて行かなくてはなりません。
道路、基本計画検討委員会報告書・市議会に提出さる!!
昨年6月に市により設置された、沼津市都市計画道路沼津一色線道路計画等に関する基本計画検討委員会の報告書が6月21日に沼津市議会に提出された。
この報告書は昨年10月に発足した学識経験者ら8名による委員会が、平成29年末に発表された整備計画最終案に基づき「道路と古墳を含む周辺までを一体的な空間として設計し、質の高い意匠を施すことで、良好な景観の形成を目指すため、具体的な設計に必要な基本理念、最適な発注方式、設計の基本条件等の基本計画を策定するもの」としてまとめられたものである。
この中で整備案としては、東側2車線橋梁・西側2車線トンネルという従来から整備方針が示されると同時に、「南北都市軸の強化とともに、歴史を重んじ、地域のつながりを大切にする“みちづくり”」という基本理念がかかげられた。
また、設計発注方式として、コンペ方式をとり、空間デザインを重視し質の高い整備を行い。古墳の保存・利活用においては「高尾山古墳の歴史的価値を次世代に継承するため、往時を体験できる復元整備が必要であり、道路構造物と隣接又は重複する空間であることから、景観的調和を踏まえた安全への配慮を重視する。」とされている。
これら、計画書整備案における、東側2車線橋梁・西側2車線トンネル案には、承服しかねるものの、コンペ設計者に現時点で提出できる基本的考え方や条件案としては、まずは妥当なものとして評価される。
しかし、私たちが主張してきた、まずトンネルを2車線通して上下線共用とし、周溝部分を覆ってしまう橋梁部にかんしては、しばらく様子をみて、交通量の再調査をすることや、隣接地に資料館などのガイダンスセンターを設置すべきことなどには触れられてはいない。
この報告書で問題と感ずるのは、古墳の利活用において、新たな知見や提案が何も示されていない事と、この都市計画案が決定されて、すでに60年近い年月が経過していることである。しかも工事の完成目標は10年後と予定されている。
かつて静岡県東部の中核都市として賑わっていた沼津市も大型企業の流出には歯止めがかからず、20万人を誇った人口も令和12年には17万人を割り込む事が予想されている。おなじように、駅周辺の商店街や繁華街の衰退には目を覆うべきものがあり、昭和の高度経済成長期に市街地周辺に開発された住宅地には老人の姿が多くなり、子供の遊ぶ声を聞かなくなった。
むろんこのような現象は沼津市だけにはとどまらず、東京一極集中化の反映として、多くの地方都市に見られる現象ではある。
そして、ここで言うべきは、60年も前の計画を今後10年かけて完成させようとする前に、今一度、道路優先の考え方を改め、かつて、全国を席捲した箱モノ行政の過ちを繰り返すことの無いよう。一時代前の道路計画に恋々としている、工事関係者や地主といった受益者、市民の無関心層に支えられた道路行政を考え直すべきではないのか。
都市計画道路沼津南一色線は、道路と古墳の両立を旗印にして計画が進められてきた、道路をまず通せば、古墳は形式的に残せば良いだけでは無い。40億円近い事業費を費やすのだから、何を作るのかだけではなく、どのように利活用し、市民の福祉や豊かさに結びつけてゆくのか。行政当局には文化財の専門家がおり、新たな知見を求め学者を招聘する力もある。箱モノだけを作って後は適当にお茶を濁すような真似だけはしてほしくない。少子高齢化と地方都市の空洞化を阻止できる豊かな町づくりを、人々が助け合い寄り集う、歴史と文化を誇れる街づくりを、高尾山古墳という日本の宝を通して行うべきではないだろうか。
日本史に残る古墳である、全国にさすがと言われる利活用をも提案してほしい。未来を見通す力量が沼津市に問われているのである。
文化財保存全国協議会第50回 沼津大会 開催される R1/6/16
6月14・15・16日にかけて、「文化財保存全国協議会第50回 沼津大会」が沼津市立図書館を拠点会場として開催されました。
15日(土)の「古墳見学会」は荒天の予報にも拘わらず、50名近い参加者が風雨の中、沼津文化財センター・伊豆の国市大北横穴群・函南町柏谷百穴・三島向山古墳群公園・沼津清水柳北遺跡(雨天のため函南瓢箪山古墳を変更)・高尾山古墳高尾山古墳などをめぐりました。また、同日夕方6時からは、沼津駅前「海人(かいと)」にて30名の参加者によって懇親会が催され、自己紹介や日頃のそれぞれの会の運営などにつき、酒食を共に、にぎやかに歓談されました。
16日(日)には沼津図書館4階の視聴覚ホールを中心に、10時より公開講演会が開催され、和島賞の個人(小玉道明氏・鈴木重治氏)・団体(国分寺・名水と歴史的景観を守る会)の授賞式をはさみ、「駿河・伊豆の初期古墳の保存と活用」をメインテーマに、古墳時代の定義。方形周溝墓から前方後方墳・前方後円墳にいたる形の変遷。コンピュータを使った古墳発見の技法と説明。高尾山古墳の解説。守る会の運動の経緯と課題。などが講演され、シンポジュウムでは遺跡の活用などにつき討論され、120名あまりが参加いたしました。また、4階ホールでは「寝屋川の歴史と文化を考える会」や「高尾山古墳を守る会」のポスターセッションや図書頒布会なども行われ、にぎやかに情報交換する人々の姿がみられました。
見学会ご参加の方で記念写真をご希望の方は
記念写真送付希望と書き下記あて後連絡下さい。
写真画像データ(jpeg)を送付いたします。
Ichirow.ad@outlook.jp 足立まで。
文全協・守る会 共催 6/15(土)・6/16(日)見学会・講演会のお知らせ
6月14日(金)15日(土)16日(日)の三日間にわたり、文化財保存全国協議会と高尾山古墳を守る会の共催で「文化財保存全国協議会第50回 沼津大会」が開催されます。大会二日目、15日(土)の遺跡見学会、三日目,16日(日)の講演会は、会員以外の方々の参加・聴講を募集しております。地元の古代史に触れ、高尾山古墳を知る良い機会となりますので、みなさま是非ご参加下さるようご案内申し上げます。
[見学会] 駿河・伊豆の初期古墳と横穴 (バスツアー)
6月15日(土)
見学会予約、おかげさまで満席となりましたので、募集を打ち切ります。
午前9時/沼津駅南口⇒沼津市文化財センター⇒伊豆の国市大北横穴群⇒函南柏谷百穴
(昼食)⇒函南瓢箪山古墳⇒三島向山古墳群公園⇒沼津高尾山古墳⇒沼津駅/午後5時着
沼津駅南口より、小型バスに分乗して古墳を巡ります。会費は4,000円、バス代・弁当代含む(当日集金)どなたでも御自由に参加できますが、事前申込みにより、定員になり次第〆切ります。
参加申し込みは、ハガキ・FAX・メールで、氏名・住所・TEL・メールアドレス などを明記の上、古墳見学会参加希望とお申し込み下さい、先着順にて受付、定員になり次第締め切ります。(申し込みは
下記 瀬川まで)
[公開講演会] 駿河・伊豆の初期古墳の保存と活用(講演テーマ)
6月16日(日) 10時開講 16時半終了
開 場 9時30分 図書館4階視聴覚ホール(受付で資料代として500円申し受けます)
開会挨拶 10時00分 沼津大会実行委員会委員長 杉山治孝(高尾山古墳を守る会会長)
基調報告 高尾山古墳の発見と駿河・伊豆の初期古墳をめぐって
渡辺康弘(元静岡市教委学芸員)
報告 1 伊豆の初期古墳 三島向山16号墳 芦川忠利(三島市郷土資料館館長)
報告 2 函南町瓢箪山古墳発見の経緯 笹原芳郎(県立田方農業高校教諭)
第20回 和島誠一 賞 授賞式
昼食・休憩 12時30分より 午後・開始 13時30分
記念講演 「卑弥呼の時代」は何時代か ―古墳時代開始年代の再検討と東日本の早・前期古墳― 橋本博文(新潟大学フェロー・文全協代表委員)
報告 3 沼津市高尾山古墳発掘調査の成果 小崎 晋(沼津市教育委員会)
報告 4 高尾山古墳の保存運動と課題 江藤幹夫(高尾山古墳を守る会副会長)
質問とシンポジウム ―高尾山古墳の保存と活用をめぐって―
閉会挨拶 16時25分 小笠原好彦(滋賀大学名誉教授 文全協代表委員)
問い合わせ先・申し込み先
〒410-0873 沼津市大諏訪453-21 瀬川裕市郎 宛
Tel 055-952-2128 (携帯)090-4793-0797 E-mail sgy3914@ny.thn.ne.jp
恒例、市民歴史講座 渡邉康弘 先生 R1/ 5/11
5月11日(土)午前10時より沼津市立図書館4階、講座室に於いて恒例の市民歴史講座が開催されました。講師は前回に引き続き 渡邊康弘 先生。今回は「高尾山古墳をめぐって」と題され、遺跡の保存の意味合いや、弥生時代中期以降の墓制、方形周溝墓のさまざまな形態が、高尾山古墳のような、大型の前方後方墳に、どの様に引き継がれて行ったか。また、前方後円墳の形態がどのようにして生まれたのかを講義されました。
話のはじめ、遺跡の保存の意味につき、遺跡とは「遺物」と「遺構」に分けて考える事ができ、遺物とは「地面から離れ移動できる」もの、遺構とは「地面に付いていて移動できない」ものとして、ともに価値を評価された上で保存されなければならないと説明されました。そして、「遺構」については「そこに行けば見られるもの」であると同時に「そこに行かなくては見られない」地形や環境などにより、図面やデータと云った第三者的なものとは異なる、自身がその場の空間で初めて体感・実感できる疑問や了解、時代を超えて共有できる視点を感得するものとして、その場所に残し在ることが非常に重要であると述べられました。
方形周溝墓は弥生時代中期頃・紀元前後より現れた墓制で、周囲を溝によって区切られた方形の墓で、方形に取付けられた土橋のような突出部により多様な形態を有し、群在する墓だそうです。このような墓が3世紀末頃になって行くと、それら形態を引き継ぎつつ、高尾山古墳のような大型の前方後方墳を生んだようです。
一方、方形周溝墓の形からは、その後全国に見られるようになる前方後円墳の円形の後円部の形は見えづらいようです。しかし、当時の壷などの土器の寸法比率を詳細に検討すると、前方後円墳との類似を見出すことができ、前方後円墳が、その規格性を利用したとも、推測できるそうです。
弥生時代中期以降、方形周溝墓は各地で様々な形態のものが群在し出るのですが、弥生時代後期から古墳時代にかけ、各地の権力が伸長し、全国的な斉一性が出現してくるとともに、単独墳で厚葬化され、多大な労力を必要とする、見上げるような、前方後円墳が目立つようになるようです。
市当局の高尾山古墳に対する考え方を問う H31/3
2月6日、沼津市長に対して要望・質問状を提出しました。それに対する回答が2月末に届きました。残念なことに前回の回答とほとんど変わりがない、硬直した姿勢の回答と言わざるを得ないもので、会の要望に応えることもほとんどありませんでした。以下、質問・要望と回答の要旨、回答に対する会の考え方をまとめました。
質問要望1……高尾山古墳の早急な国史跡指定の申請を。
回答……関係機関と調節を図りつつ、平成29年12月に示されたスケジュールに従い平成30年代中頃の申請に向けて取り組む。
考え方… 最初の質問の国史跡指定の申請も、会では同じ要望を何度かしていますが、従来の回答と同じです。最初の頃は、早い段階で国指定にしてしまうとその制約のため道路案の選択肢が制限され道路案作成が難しくなると回答してきました。しかし、古墳の一定範囲が先に国指定となっても、それは変更が可能で固定されるものではありません。道路(案)が確定したら国指定の申請をするということでは、根底に道路優先で、古墳はむしろ邪魔という本音がうかがい知れます。
質問要望2……市長のアンケートの回答の真意を再度明らかに。
回答…… 高規格・高交通量の道路であるので、安全性や円滑性の高さの必要性と古墳の現位置での保存活用の視点から橋梁とトンネル案を平成29年12月公表した。橋梁整備では墳丘部をできるだけ毀損しないように、毀損するにしても最小範囲にとどめる。古墳整備では部分的復元や形状が分かるようにハード・ソフト両面から検討。
考え方… 今回の要望・質問では、とくに市長の古墳に対する考え方を問いました。かつて市長は、アンケートに対する回答として、「現状で残っている部分には極力手を付けずに保存する。」としていましたが、それに対して先に決定した両立案では橋脚等で周壕が毀損されます。その矛盾について聞いたのですが、それに対しては、どうしても道路が必要、最小限の毀損で道路を作るというばかりで、私たちの質問には何も答えていません。
誠意を欠いた回答、はぐらかしの回答というほかありません。また、今回特に留意すべきことは、墳丘部の毀損には言及がありましたが、周壕部分を毀損することにたいして言及がなかったことです。周壕部分が相当壊される恐れがあります。周壕も含めて古墳であるということをきちんと踏まえ、周壕も毀損しないようにするべきだと改めて要求します。
質問要望3……大規模地震に対する対策は。
回答……耐震基準の見直しを元に大規模地震を想定した規定により、耐震設計を行い対策をとる。
考え方… それは当然のことと考えます。大地震が来ることは明らかなようなので備えは充分にすべきです。巨大地震に耐えうるような構造物をつくるとなれば、相当の規模で工事が行なわれ、それに伴いかなりの部分で古墳本体や周壕部分が破壊されないかと危惧されます。
質問要望4……上下線トンネル案の是非は。
回答…… 道路が市北部の交通ネットワーク機能改善のための幹線道路であり、周辺の慢性的な渋滞解消、地域内道路の安全確保等を図るためには4車線での整備が必要。平成29年12月策定の方針に従う。
考え方… 今後の交通量の変化、人口減に伴う自動車そのものの減少や、すでに計画がなされている東駿河湾環状道路の完成による交通量の減少も何ら考慮していません。固定観念に縛られた硬直した考え方による回答、決まったことだからと思考停止に陥ったかのようです。今やムダとも言える公共事業が全国的に行なわれていますが、この沼津南一色線道路計画もその一つではないでしょうか。今一度原点に返って道路計画の見直しを求めます。高尾山古墳の保存は無駄な公共工事ではありません。高尾山古墳は、日本の古代の始まりに関わる全国的に貴重な歴史遺産だからです。やむなく道路を作るにしても、できるだけ現状のままで、しかも景観を損ねることのない方法で道路を作るべきであり、そういう点では上下線トンネル案がより望ましい形であると、改めて高尾山古墳を守る会では考えています。
どちらが保存・活用に望ましいと思いますか。
【道路案推定イメージ図】 左市当局案 右上下線トンネル案
質問要望5……ふるさと納税の協力金を基金として保存整備ガイダンス施設に役立てて欲しい。
回答…… ふるさと応援基金として寄付提出時の希望に沿って現状保存等に活用している。今後も目的に沿った活用を図る。基金の額がどれほどあって、今までに何にどれだけ使ってきたのか、活用状況の情報開示を求めます。
質問要望6……計画検討委員会への考古学関係者を新たに選任を。
回答…… 文化財・庭園の分野から選出された委員は奈良文化財研究所で発掘調査や公園整備に携わったほか、文化庁記念物課に在籍し古墳整備を含む史跡整備の実績等もあり、適任。
道路案や今後の高尾山古墳の整備や活用に御意見などをお寄せください。会でも引き続き市に要望や意見を届け、よりよい保存活用を目指していきます。皆さんの御意見や要望等も反映させていきたいと思います。事務局宛にはがきや封書、メールでお寄せください。
宛先 〒410-0018 沼津市豊町5-3 高尾山古墳を守る会事務局 江藤 幹夫 xd857322@cg8.so-net.ne.jp
渡辺康弘先生 元静岡市学芸員 市民歴史講座 H31/2/16
2月16日、プラサヴェルデ市民サロンで、高尾山古墳を守る会恒例の市民講座を行ないました。講師は元静岡市教育委員会学芸員の渡辺康弘氏です。テーマは、「前方後方墳と前方後円墳」です。
講演に先立って会長から、先頃行なわれた市長への要望書提出の話がありました。要望書の内容について説明をし、とくに東側橋梁案に替わるトンネル案を推奨した旨、強調しました。(要望書の回答については改めてホームページでお知らせします。)
講演では、まず前方後方墳の成立をたどりました。弥生時代中期、紀元前後の墓制の方形周溝墓は、初めは同じような大きさのものが群在していたが、やがて大小の格差が生まれ、大型のものが突出、散在地から単独化し、丘陵地に作られるようになり、観る観られるものと化し、内部の構造や副葬品など厚葬化し、前方後方墳型周溝墓となって、それが前方後方墳になっていくということでした。つまりは前方後方墳は弥生の墓制から発展したものであり、その過程が各地にみられることが特徴だといいます。中には、鳥居と思われる柱穴を持つ古墳があって、墳丘で神社の祖形態につながる祭祀が行なわれたことがうかがわれ、神社建築の祖形態とも言うべき遺跡もみられるということでした。
高尾山古墳については、一般的に前方後方墳が3世紀末頃出現するのに対して、そのはるか以前に出現したということで極めて貴重な古墳であるということが強調されました。
一方、前方後円墳は前代の墓制から発展したものではなく、有力氏族の一つであった天皇族の墓制であり、壺の形を元に考えられたという考えが示されました。地方ではすでに完成された形で導入が進んだことが特徴ということでした。同時代の地域差は前方後円墳型の墓制を持つ天皇族の体制を受け入れた地域とそうでない地域との差であり、天皇族に地方の首長が組み入れられ貴族化することで前方後円墳は作られなくなるということでした。
こうした話を各地の遺跡の写真や図を使って分かりやすく説明してくださいました。示唆に富む講演でした。
なお、この講演会で初めて、リコーの補助金で購入したプロジェクターと拡声器を使いました。明るく見やすいプロジェクターと歯切れの良い音のメガフォンとで講演が視聴できました。
リコー社員の皆様、ご寄付ありがとうございました。 H31/2
私たち「高尾山古墳を守る会」は、この度「リコー社会貢献クラブ FreeWill」より御支援(寄付)を戴きました。
Freewillからの御支援は私たちの活動の一環である、歴史講演会や説明会などで使用する プロジェクターやマイク・カメラ等の視聴覚機器の購入に使わせていただきました。
これからも、これら機器を活用し、より多くの市民とともに活動の輪を広げてゆきたいと考えています。
リコー社員・FreeWillの皆様ありがとうございました。
※ 「リコー社会貢献クラブ・FreeWill」とは、社員参加型の社会支援組織です。リコーを含むグループ会社10社の社員が任意で会員となり、給与と賞与の端数(給与の100円未満、賞与の1000円未満)を拠出し、その資金により、社会貢献を行っている組織やNPOなどを支援しています。支援先の選定は会員による推薦と運営委員会の審査で決定し、毎年多くの団体を支援しています。
◆詳しくは「リコー社会貢献クラブ FreeWill」で検索。
平成31年2月 頼重沼津市長に要望書提出 H31/2/6
2月6日(水)「高尾山古墳を守る会」は、頼重沼津市長に高尾山古墳の保存と計画案に対する要望書を提出しました。
これは、昨年10月に発足した、南一色線道路計画などに関する「計画検討委員会」に私たちの声を届けるとともに、計画に対する市の方向性を再度ただしたものです。
頼重市長との面会は昨年7月以来2回目となります。面会席上、守る会会長の杉山が6項目の要望内容を読み上げました。
要望は、①国史跡指定の速やかな申請②市長選時に表明した市長の古墳に対する考え方③市の計画にある、橋脚・橋梁の耐震対策④橋梁利用を止め、上下線トンネルとする案の是非⑤古墳に対する「ふるさと納税」使途と基金化⑥計画検討委員会への考古学関係者の選任、です。
また、今年6月に開催する「文化財保存全国協議会50回沼津大会」(文化財保存全国協議会・高尾山古墳を守る会 共催)に対する市の後援・協力要請をおこない、そのなかで、沼津の歴史と文化を知ることや発信することは大変重要、地域からの町づくりを盛り上げることで地域愛が生まれ、歴史を振り返ることで自分たちのアイデンティティーを確かめることができると話しあいました。
篠原和大 静大教授 市民歴史講座 H30/12/8
12月8日(土)キラメッセ沼津市民サロンにおいて「高尾山古墳を守る会」恒例の市民歴史講座が開催されました。講師は静岡大学人文科学部の篠原和大教授で、「弥生のムラから古墳のムラへ」と題し、駿河地域における発掘調査をふまえ、弥生から古墳時代にかけての地域社会のなりたちについて語られました。
高尾山古墳のような大きな古墳に葬られる人間は、その地域社会の首長と考えられます。当然そこには首長を生むだけの社会構造があり、首長はその地域の政治の中心であったと考えられます。そして、そのような社会構造の母胎ととなった弥生のムラの例として登呂遺跡を取り上げました。
静岡市の登呂遺跡は高尾山古墳(西暦230年頃)の作られたおよそ100年程前に、洪水にみまわれ消滅した遺跡です。ここからは平成の調査で、集落中央広場に大型祭祀建物(大型独立棟持柱付掘立建物)が発見され、地域の共同体的な祭祀の場であったと考えられています。また、登呂の南東には古墳時代初頭の遺跡、汐入遺跡があり、ここからも溝や柵によって囲まれた祭殿(独立棟持柱付掘立建物)が発見されています。「中央広場」と「溝や柵によって囲まれた」祭祀空間の違いは、集団の協同労働の結束を高めるために共同体的祭祀を行っていた登呂遺跡から、より集団的で利害を調整し統率し得るような社会構造に発展した汐入遺跡の社会と、その祭祀の特権を得た首長や首長層の姿を読み取る事ができることです。
また、この講演で特に興味を引かれたものに、縄文後期から弥生時代にかけて、富士山の噴出物による御殿場泥流が田方平野や黄瀬川扇状地をつくり、また静岡・清水平野では安倍川が氾濫によって扇状地を広げるなど、天災とも呼べる天変地異が水田耕作地の拡大をもたらし、社会規模を拡大しただろう事です。
天災や異常気象が続く今日。古代史の中の人々も、それらの災難を乗り越え、新たな時代や歴史を切り開いてゆくという、人間の持つバイタリティーを改めて感じた講演でした。
基本計画検討委員会 第1回会合開催 H30/10/19
都市計画道路沼津南一色線の基本計画策定のための、計画検討委員会が発足しました。計画検討委員会では、道路整備における
基本理念の検討
設計の基本条件の検討
発注方式の検討
の3点を主に取り扱うもので、委員は以下の通りです。
委員長 福井恒明 (景観・土木構造物デザイン)法政大学教授
副委員長 関文雄 (構造)日本大学教授
亀井暁子 (建築)静岡文化芸術大学准教授
杉山僖沃 (地域代表)東熊堂沼津南一色線対策委員会委員長
高瀬要一 (文化財・造園)奈良文化財研究所前文化遺産部長
新井久敏 (公共デザイン調達)土木学会建設マネジメント委員会
新屋千樹 (行政)沼津市副市長
この他、文化庁職員がアドバイザーとして参加する。
尚、この委員会は非公開で全三回の会合を行う事になっており、第2回は来年1月、第3回は3月に開かれる予定です。
10月19日、基本計画検討委員会の第1回会合が市内で行われ、委員らによる現地視察が行われました。市職員より、古墳の形状や周辺の道路環境について説明をうけ、福井委員長は「利便性とともに、文化財としての価値が、地域にもたらす誇りを大事にしてゆく」と述べました。 【以上新聞記事要約】
日本考古学協会 2018年度静岡大会 ポスターセッションに参加 H30/10/21
日本考古学協会の2018年度静岡大会が10月20日(土)より三日間にわたり静岡大学 静岡キャンパスで開催され、「高尾山古墳を守る会」は、この会のポスターセッションに参加しました。
ポスターセッションは校内の二つの教室を利用して行われ、県内の考古学関連組織がそれぞれの活動内容を掲示板に公開したものです。守る会では、これまでの活動履歴や現状、今後の課題などをポスター展示しました。
尚、静岡大会の共通テーマは「境界(はざま)の考古学」とされ、研究発表は三つの分科会に分かれ二日間にわたり行われました。各分科会のテーマは
分科会Ⅰ 旧石器時代における愛鷹山麓の地域性-はざまを生み出すヒトの営み-
分科会Ⅱ 弥生時代における農耕空間の多様性とその境界
分科会Ⅲ 古墳時代後期後半の東国地域首長の諸相
とされ、大昔は東国との境であったともいわれる、開催地静岡の古代をさぐる意欲的な研究発表が多数なされました。
小崎晋氏 市民歴史講座 H30/10/8
10月8日キラメッセ沼津 市民サロンで「高尾山古墳を守る会」恒例の市民歴史講座が開催されました。講師は沼津市文化財センターの小崎晋さん、演題は「日吉廃寺ってどんなお寺だった?」でした。
日吉廃寺は、沼津市にある巨大な古代寺院の遺跡で、JR沼津駅東方、1Kmの東海道線日吉踏切の南北に広範囲にわたり存在したものです。現在、その跡の一部は沼津市初の史跡公園として整備され、塔の礎石を見ることができます。
出土品としては、この地域では最も古い山田式の瓦や、仏像の螺髪(らほつ)といった寺院関係ならではのものが出土しており、全国に国分寺ができる前に、この地域の有力豪族によって建てられたものと推測されるそうです。
同時代の遺跡には清水柳一号墳(形式として「最後の古墳」で、火葬をした痕跡があることから仏教伝来の影響を残した大変貴重な古墳でもあります)やJR沼津駅周辺の場所にあった上之段遺跡、御幸町遺跡(市役所付近)、大規模住居址で近くにある下石田原田遺跡など、沼津市内には、当時からたくさんの人が住んでいたことがわかるそうです。
日吉廃寺の範囲は現在のJR日吉踏切の南北の広範囲にわたっていますが、大正時代から平成に至るまで、たびたび調査が行われていて、伽藍配置の寺院ではと言われてきましたが、その全容はつかめていません。
その柱穴の大きさと並びから、かなり巨大な寺院だったことは確かなようです。仏教伝来から間もないこの時代に、このような巨大寺院を立てたのは、この地域の有力豪族がこの地域での自分の基盤を確立させるためと、中央勢力に自分の存在をアピールするためだったと考えられるそうです。
逗子市「長柄・桜山古墳を守る会」一行が高尾山古墳を見学 H30/9/8
9月8日(土)神奈川県逗子市の「長柄・桜山古墳を守る会」の一行が、高尾山古墳の見学に訪れました。
「長柄・桜山古墳を守る会」は逗子市葉山の丘陵地にある史跡、長柄・桜山古墳(国指定史跡)を守り、古墳見学会や歴史講演会などを通じ、古墳についての市・町民の理解を深める活動を行っている市民グループです。
マイクロバスで沼津を訪れた一行20余名は、午前中に沼津市民文化財センター、高尾山古墳、長塚古墳を見学し、午後からは三島市の向山古墳群や楽寿園郷土館を訪れました。高尾山古墳を守る会からは瀬川副会長などが同行し解説を行いました。
※ 長柄・桜山古墳群
長柄・桜山古墳群は、神奈川県逗子市と葉山町の境にある丘陵地に1999年3月に発見された2基の前方後円墳です。2基とも4世紀代の古墳で、第一号墳は全長91.3m、第二号墳は88mで神奈川県に現存する古墳では最大級です。これらの古墳からは円筒埴輪が見つかっており、墳丘上に並べ置かれていたと考えられ、第2号墳には葺石が施されていた事が明らかになっています。
長柄・桜山古墳を守る会 ホームページ
http://www.nagaesakurayama.com
中嶋郁夫氏 歴史講演会 H30/8/26
8月26日(日)午後1時半よりキラメッセ沼津市民ホールで「守る会」主催の市民歴史講座が開催されました。講演者は静岡県考古学会の中島郁夫氏で、演題は『高尾山古墳から「邪馬台国」が見える』というものでした。
当日は酷暑の続く日曜日でしたが、会場の市民ホールはほぼ満席の盛況でした。
講演は弥生時代後期から邪馬台国成立期。文字の無い時代、各地から出土する土器や鏡などの遺物から当時を探り始めます。
弥生時代の土器はそれぞれ地方色の強いものが出土しますが、古墳時代に近づくとその地方色は消えて、ある特定地域(伊勢湾地域)土器に入れ替わってゆくそうです。また、地方地方の首長者の墳墓や副葬品も徐々に同一化類型化されたものが多くなり、そこに政治的な繋がりや連帯が見えてきます。やがて、西国に前方後円墳型の墳墓が現れ、鏡や剣、鏃などを副葬するようになり、ヤマト政権型の前方後円墳が各地にひろがります。前方後円墳の大きさは被葬者のヤマト政権内での立ち位置と結束を反映し、副葬品もヤマト政権の権威を象徴する舶載品などが多くなります。ヤマト政権が当時の中国や朝鮮地域の国の権威を頼みにして各地の首長と連帯を深めていったのです。
いち地方の土器の破片の変遷から鏡や古墳の副葬品。前方後円墳がひろがってゆくさま。当時の東アジアのはしに位置した邪馬台国が東アジアの国際情勢に関連しながら成立してゆくという大変ダイナミックな講演でした。
頼重新市長 訪問 H30/7/4
「高尾山古墳を守る会」の代表4人が7月4日 沼津市役所に頼重新市長を訪問しました。これは、新市長にたいする表敬訪問と同時に、先日「文化財保存全国協議会」より、文化財保護に功績があったとして表彰された「和島誠一賞」の報告をかねたものでした。
また、守る会は、先ごろの市長選に先立って、各市長候補者に古墳保存に関する質問書を送付し、候補者全員よりの回答を戴きました。この回答をふまえ、新市長に、沼津市の誇るべき歴史遺産を、市民にとってより有意義な遺産と成すよう、新たに要望書を市長に提出し回答をもとめたものです。
要望の主たるものは、高尾山古墳の最も重要な要素である、東日本最大級の前方後方墳の形が誰にでもわかるよう、古墳の東側部分を覆い隠す橋梁工事に優先して、トンネル工事を行い。トンネルをまず上下線共用とした上で、実際の交通量と他の道路整備や人口減少に伴う交通量の将来予測を再度確認し、やむを得ない場合に橋梁工事に着手するようにして欲しいというものです。
市長との話し合いは終始おだやかなもので、沼津市の活性化のためには、各町内から、ワイワイがやがやの運動を盛り上げ、住民と市職員の共働が欠かせないものであると再確認し、沼津市民が誇れる形で古墳を保存してもらいたいというものでした。
和島誠一賞 受賞式 H30/6/24
6月24日 兵庫県西宮市「西宮市民会館」で行われた、文化財保存全国協議会 第49回西宮大会に於いて、和島誠一賞授賞式がおこなわれました。和島誠一賞授与は今回で19回目、この栄えある賞を「高尾山古墳を守る会」が団体の部として授与され、会を代表して副会長 江藤幹夫が賞を受け取りました(個人部門は大阪大学名誉教授都出比呂志先生が授賞されました)。これは、消滅の危機にあった古墳を保存へと導き、遺跡保存と道路建設の両立を成功させた貴重な事例と讃えられての受賞で、
静岡県内の団体では初めての受賞です。
受賞者スピーチでは、昨年12月に両立案が出さたことに触れて、この案では周溝に橋脚が立つ可能性が非常に高く、古墳の重要な構成物が壊されてしまうこと、また前方後方墳としての全体像が見えず、古墳とわかる歴史的な景観を損ねてしまうことを説明し、
歴史的景観を保持した保存のために、西側トンネルを上下線で共有し、将来の交通量の変化をみて東側車線の建設を考える案を提案していくなど、今後も積極的な活動をしていくと述べ、会場からは万雷の拍手が送られました。
高尾山古墳 道路計画案 可視化!! H30/6
都市計画道路「沼津南一色線」道路案、高尾山にかかる部分を当局案に基づき独自にイラスト化しました。イラストを持って是非現地をご覧になり、沼津の誇るべき歴史遺産の保存のあり方について、あなたのご意見をお寄せください。
そして、みなさん一人一人の声を、是非、沼津市へ送り届けて下さい。
(画像をクリックするとイラストが拡大します)
Mail
高尾山古墳を守る会 takaosank_dayori@exlte.co.jp
沼津市市民相談センター(要望・陳情) soudan@city.numazu.lg.jp
沼津市「市民の声」アドレス
http://city.numazu.shizuoka.jp/opinion/op_form/index.htm
6月 講演会 終了しました。
定例の高尾山古墳を守る会主催の講演会が再開されます。
6月の講演会は 守る会副会長の 瀬川裕市郎 が
「高尾山古墳は大丈夫か 高尾山古墳はなぜ残さねばならないか。」
と題して 6月23日(土) 午後1時半より
キラメッセ沼津 市民サロン で開催します。
今後も隔月で地元に密着した歴史講演会を開催してゆく予定です、
皆様の御聴講をお待ちしています。尚、資料代として500円申し受けますので宜しくお願い致します。
「沼津あれこれ塾」で守る会・瀬川副会長 講演 H30/5/26
5月26日(土)に行われた「沼津あれこれ塾」(主催:NPO法人海風47)にて、高尾山古墳を守る会・瀬川裕市郎副会長が「高尾山はどうなる」という題でお話をしました。
高尾山の稀少性、年代性、築造方法やそれにかかった労働力と、当時のこの地域の人口。予想外の出土品など高尾山古墳が他にない特色をもった遺跡であることを解説しました。また、これまで地元で1800年守られてきた貴重な遺跡を、次代に引き継いで行くことが私たちの責務と話しました。
来場者からの質問も多く「高尾山古墳の被葬者は卑弥呼と会っていたのか?」や、「古墳を造営したのは地元の人なのか?」など当時の社会について想像のふくらむ質問もありとても活発な講演会となりました。
また、「沼津あれこれ塾」では、7月28日(土)14時からの回で、「静岡の古墳と高尾山古墳」という内容の講座を行う予定です(内容は変更の可能性があります)。ご都合のよろしい方は行かれてみてはいかがでしょうか。
「高尾山古墳を守る会」が受賞
私たち「高尾山古墳を守る会」が第19回和島誠一賞、受賞者(団体の部)として表彰されます。
和島誠一賞は文化財保存全国協議会(文全協)が、遺跡保存に顕著な力を果たしている個人と団体を表彰するもので今年で19回目となります。表彰式は6月24日(日)文全協第49回西宮大会・大会テーマ「都市開発と環境—自然と文化遺産を生かす—」会場:西宮文化会館にて行われます。
※ 文化財保存全国協議会(文全協)
文全協とは日本に残されている豊かな文化財を守り学び活用して後世に伝えてゆくことを目的とした、市民を中心とした遺跡保存の唯一の全国団体です。
沼津市長選挙 選挙結果 H30/4/30
大沼明穂市長の死去に伴う市長選挙は4月29日に投票が行われ、前沼津市議会議長の頼重秀一氏(49才)が33,037票を獲得して初当選しました。当日の有権者数は164,283人、投票率は45.13%でした。尚、立候補者の得票数は下記の通りです。
当選 33,037票 頼重 秀一 49 無 新
21,811票 加藤 元章 54 無 新
15,410票 山下富美子 64 無 新
1,960票 渡辺 大輔 36 無 新
1,236票 土倉 章晴 73 無 新
尚、頼重新市長の、守る会質問状への回答は前記事紺色の部分です。
市長選候補者へ公開質問状 H30/4
大沼明穂市長の死去に伴う市長選(22日告示・29日投票)立候補者に対し、高尾山古墳を守る会は公開質問状を送付し回答を求めました。
これは、鉄道高架問題と共に沼津市が抱える懸案の一つである、都市計画道路沼津南一色線の整備に係る、高尾山古墳の保存と活用に関し、市長立候補者がどのような考えをもって市長選に臨むのか、市民の投票の参考にすべく行うものです。
質問状の送付は4月5日に投函(現時点立候補者5名)、ホームページへの記載は回答着順にUPしています。また、質問と回答者が分かりやすいように、候補者の回答を色別に表示してあります。
加藤元章 氏(54) 沼津市議 回答緑色表示
頼重秀一 氏(49) 沼津市議 回答青色表示
山下富美子氏(64) 沼津市議 回答桃色表示
土倉章晴 氏(73) コンサルタント業 回答橙色表示
渡辺大輔 氏(36) 派遣会社社長 回答水色表示 立候補届出順
2018年4月5日
沼津市長選挙立候補予定者 様
高尾山古墳を守る会
会長 杉山 治孝
高尾山古墳の保存活用並びに沼津南一色線道路建設に関わる質問
私たち「高尾山古墳を守る会」は、沼津市の懸案の一つである高尾山古墳の保存と都市計画道路沼津南一色線の両立に関し、古墳の保存とその活用をめぐり、市民の立場より市に意見や提案を行っている団体です。
すでにご存知と思いますが、高尾山古墳は愛鷹山南東麓に築造された全長62メートルの前方後方墳です。その築造年代は3世紀前半に遡る、日本列島でも最古段階の古墳です。この古墳の発掘調査においては中国鏡や列島各地との交渉を示す重要な品々が出土したことから、日本の初期の国家形成を正しく理解するうえで欠くことのできないきわめて重要な歴史遺産であると認識されています。
私たち守る会は、この重要な歴史遺産の保存と活用につき、市長選挙立候補予定者のみな様がどのように考えるか、その思いや施策をお聞きし、市長選の判断の参考にさせていただきたいと考えます。
つきましては以下の質問にご回答くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
なお、回答は、回答の有無をふくめ、会のホームページ及びフェイスブック、新聞投稿などで公開・配布したいと考えておりますのでご承知おきください。
<古墳についての基本認識について>
1) 高尾山古墳は、冒頭に述べましたように非常に価値の高いものであり、国史跡指定はもとより、沼津市としてより高レベルの保存を行なうべきと考えますが、古墳の価値の評価及び、保存のありようについてのお考えをお答えください。(記述)
頼重氏
高尾山古墳の重要性については、その築造年代と併せて古墳の形状、規模、墳丘部分の高さ、副葬品の内容からも、大変貴重な価値ある文化財であり、古代日本史のこれまでの常識を覆してしまう可能性も有するものと考える。この事からも、国指定史跡の登録は勿論の事、現状で残っている部分には極力手を付けずに保存するとともに、現状削られてしまった部分などは、歴史的考証も踏まえ、部分的にも復元などを行い当初の姿がわかるようにしたらどうかと考える。
加藤氏
高尾山古墳の価値の高さについては十分評価、認識しており、また、先般、当局より古墳と道路迂回による併立、共存案が示されたことから、今後は本案の詳細検討を進めていくべきと考えている。
土倉氏
守る会の意見を第一とします。
渡辺氏
東日本で最古級かつ最大級の古墳できわめて重要なもので有ると思います。現在の保存状況よりも、高いレベルの保存を行ないたいと思っています。
山下氏
高尾山古墳は、我が国の国家形成を解明する上で極めて貴重な歴史的文化遺産であり、このような貴重な古墳が沼津に存在していることを誇りに思い、何としても保存したいと考え市民運動立ち上げに参加し、皆さんと共に保存運動を進めると同時に市議会においても同志と共に、市当局に保存要請を強く行ってきた私にとっては、保存と活用に特別な思いを抱いています。保存と活用については、古墳の環境整備を行い、出土品の展示会場を設置し、沼津のシンボルとして活用したい。
<道路計画等について>
2) 沼津市は、「古墳と道路の両立」という議論の経過を踏まえて、東側車線を橋梁とし西側車線をトンネルとする道路案を策定しましたが、この計画は古墳景観を著しく損ないます。そこで実施に当たっては、一旦西側トンネルのみを建設・共用し、東駿河湾環状道路の延伸や他の都市計画道路による交通状況を調査再検討しかつ、交通規制などによる交通体系の制御を行ない、可能な限り東側車線を築造しないようにすることが、古墳を傷つけないことと十分な活用を図るためのより良い方法と考えますが、ご見解をお聞かせください。(3点よりレ点で選択)
□ トンネルのみで良い □ 当局案で進める □ その他の案にする
頼重氏 当局案で進める
加藤氏 まづは当局案で進める
土倉氏 トンネルのみで良い
渡辺氏 当局案で進める
山下氏 トンネルのみで良い
3) 今年3月9日には市の担当者によって、競技(コンペ)方式を念頭にデザイン案を決定する意向が示されました。つきましては、以下の点などをデザイン案の条件として加えてほしいと考えますが、見解をお答えください。(3点よりレ点で選択)
① 東西道路との交差点に地域住民と古墳見学者の利便のために地下道を設け、信号を介さない歩行者交通を可能とすること
② 東西道路の交差点付近の高所に古墳を展望できる場所を設置すると共に高尾山神社と古墳地内をつなぐ通路や階段を設けること
③ 近くにある明治史料館との一体的な利用のため、江原交差点にかかる歩道橋から北に向かって古墳に到達できる歩道を設置すること
④ 古墳の認知度を高めるために上下線にそれぞれ大型の看板を設置すること など
□ 条件を付与しても良い □ 条件を付与する必要はない □ その他
頼重氏 条件を付与しても良い
加藤氏 今後の検討過程の中で考えていくべきと考える。
渡辺氏 条件を付与しても良い
山下氏 条件を付与しても良い
<活用について>
4) 活用については、道路案発表の際の議員全員協議会での教育委員会の答弁では、今後検討していくというものでありました。私たちは、高尾山古墳の価値やこの地域一帯の発達の歴史を理解し考察できるように、隣接地に説明員常駐の資料館及び駐車場を建設し、高尾山古墳の出土品や愛鷹山麓の埋蔵文化財の展示を行なうなど、古墳の価値にふさわしい活用を望みますが、見解をお示しください。(3点よりレ点で選択)
□ 資料館を設けるべき □ 駐車場だけでその必要はない □ その他
頼重氏
新たな文化財センターの新設に伴い、市内の収蔵施設に所蔵されている文化財や考古学的遺物の利活用や保存等について、今後話が進められる中で、現状の市内に点在する施設の在り方等も検討されるものと考える。その際、現在の明治史料館の館内展示の仕方や配置等についても取り組まれるようになると考える。その際に、明治史料館内に高尾山古墳の専用ブースを設けるなどして、金岡地区をはじめとした文化財の活用や江原先生の資料などと共に情報発信基地化を進める様にすれば良いと考える。
加藤氏
一般市民が基本的に望んでいることはこの古墳の利活用、すなわち振興策がそのひとつでであると認識しているので、今後、資料館を含めた活用等を考えていく。
土倉氏 資料館を設けるべき
渡辺氏 駐車場だけでその必要はない
山下氏 資料館を設けるべき
5) 今後の進め方として、整備構想を確定するに当たって、私ども古墳保存団体をはじめ、広く市民等を対象にした意見聴取や協議、提案の機会を設けるなど、市民との協働を行なっていただきたいと考えますが、ご所見をお示しください。(3点よりレ点で選択)
□ 協議の必要を認める □ その必要はない □ その他
頼重氏 協議の必要を認める
加藤氏 ご意見は頂き、その内容については基本案に沿って検討していく。
土倉氏 協議の必要を認める
渡辺氏 協議の必要を認める
山下氏 協議の必要を認める
6) 各項目で「その他」に回答された場合はお考えをお書きください。また、そのほかこの件についてお考えがありましたら自由にお書きください。
土倉氏
自分は新設道路の企画会社㈲鶴亀道路企画を30年経営して、リコー通り、沼津バイパスに接続する計画が10年20年先に、困らないようするには、守る会のメンバーを中心として、246バイパスの設置場所・接続位置に関し、市長になったら、この問題を至急メンバーと共に研究し、提案出来るプランがあるかもしれません。
* 4月9日までに事務局 (〒410-0001 沼津市足高454ー12 秋野 宣治)宛ご回答くださいますよう、お願い致します。
ご協力ありがとうございました。
「古墳の保存と道路整備の両立」H案決定の大沼市長急逝 H30/3/21
3月21日(水)、沼津市長 大沼明穂氏が小脳出血により急逝されました。58才でした。
市長は就任当初から古墳問題に強い関心を持ち、前任の栗原市長が行った有識者協議会の「古墳の保存と道路整備案を両立させる」とした推奨案を継承し、「高尾山古墳は考古学上も重要な意味を持ち現在の場所に保存しながら活用してゆく」として道路行政の専門家である、国交省出身の新屋副市長とともに綿密に計画を策定してきました。
昨年末に行われたH案決定の沼津市議会全員協議会の席上に於いても、「沼津の中心市街地への表玄関に位置する極めて価値の高い高尾山古墳は、沼津市にとってシンボル性の高い施設となる要素を兼ね備えております。そのため、具体的な整備に当たっては、古墳と道路を一体的な空間として質の高い整備を行い、良好な景観を形成していきたいと考えております。」と述べたばかりだった。
大沼市長は2016年10月の市長選で当時現職の栗原氏を破り初当選し2017年1月に軽い小脳出血で入院した。その後復帰し「世界一元気な沼津にする」をスローガンに頑張っていたが1年半ほどの短い公務だった。
守る会は、大沼明穂市長のご逝去に対し、心よりご冥福をお祈り申し上げます(合掌)。
道路計画現地検討会 H30/3/4
2月25日の「松崎元樹」氏の講演会の際、沼津市議「中田孝幸」氏により、沼津市の沼津南一色線道路計画に対する計画案・解説が行われ、その解説を受ける形で、3月4日(日)午前9時より沼津市東熊堂の高尾山古墳で計画案に対する現地検討会が行われました。
現地検討会は、今後道路計画の工事実施に伴い、高尾山古墳周辺がどのように変化し、古墳の活用にどのような障害が生じ、どのような可能性を生じるかを、現地において確認し、計画案の正しい理解と問題点を探るため実施されたものです。
当日は天気もよく暖かく、市街地では早咲きの桜も目につきました。30名近い参加者は市議「中田」氏の説明により、今の時点での当局発表の計画案概略につき、現地での具体的な説明に聞き入りました。
現地での検討会終了後、場所を金岡地区センターに移し、参加者による意見交換会が行われました。ここでは古墳活用に関して様々な意見が交わされ、参加者の多くが最も危惧した事は、古墳の最大の特徴である、前方後方墳の形が、橋梁地上路により隠され、確認できなくなることでした。そして、それをカバーするためには、最低でも、高い位置から古墳を俯瞰できる歩道橋のような施設を設けることや、古墳に入る事ができる通路を設ける事などを道路計画案に盛り込み、配慮を求める意見でした。
今後、考える会では、古墳の活用に関し、市民や専門家の意見を集約し、ガイダンスセンターなど古墳活用に関する要望書を市に対し提出する予定です。
「歴史遺産をどう遺し、どのように活用するのか?」講演会が開催されました。 H30/2/25
2月25日(日)沼津市立図書館4階の講座室に於いて午後1時半から開催された講演は定員100名の会場をほぼ満席とする盛況となりました。
講演は、東京都埋蔵文化財センター広報・学芸担当課長であり、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会事務長である「松崎元樹」氏により「歴史遺産をどう遺し、どのように活用するのか?」と題され行われました。
講義は、文化財保護の歴史とあゆみ、文化財保護と遺跡の活用事例、文化財保護と市民のあり方など、東京都 多摩地区の古墳公園や埋蔵文化財センターの取りくみを事例に、また、国史跡の武蔵府中熊野神社古墳保存整備のDVDも併せ、具体的な保存例を学習しました。
この講演は、先日発表された沼津市の道路計画案に対し、私たちが今後どのような展望をもって高尾山古墳を守ってゆくべきなのか。市民運動として、私たち市民が行政や研究者とどのような関係や役割分担を行い支え合って行くべきなのか、運動の新たな指針案づくりに非常に参考となるものでした。
また、松崎氏の公演の後、沼津市議「中田孝幸」氏より、沼津市の道路計画案に対する現時点でのニュアンス、推測可能な範囲での計画案の可視図が説明され、道路計画や古墳の保存に関する疑問点や要望を提出する際の具体材料となる道路計画解説がありました。
尚、松崎元樹氏には、日本考古学協会 2015年5月22日付けの「静岡県沼津市高尾山古墳の保存を求める会長声明」発表に、ご尽力戴いたそうです、この場を借りて沼津市民・高尾山古墳を守る会より感謝の意を述べさせていただきます。「ありがとうございました。」
全員協議会を受け市の説明会開催 H30/1/9
1月9日(火)沼津市は「守る会」に対し、道路計画と古墳保存に関する説明会を市水道局会議室において開催しました。説明会は市側8名、守る会側8名の参加で、先日の全員協議会での計画案公表に対しての「守る会」側の質問に応えるという形で行われました。
主な質疑内容としては、
守る会: 古墳東側を橋梁により道路を通すと、古墳敷地のスペースが極めて狭くならないか。
市側: 古墳の保全や景観、道路の安全確保、地元の要望などに配慮し、今後基本設計をしてゆく。そのなかで橋脚の厚さ・スパンの位置などを出してゆく。
守る会: トンネル工事を優先してトンネルを上下線として使用する案はないか。
市側: トンネルを江原交差点に向けて上ってゆくには勾配がとれず、交差点に向かうには最低40mの長さが必要であり無理がある。トンネルは下り専用の2車線道路で考えている。
守る会: B案の復活はないのか。
市側: 古墳東側橋梁道路のH案で、先日の全員協議会で説明、理解を求めている。
守る会: 全員協議会では教育次長は箱物を作らないと明言したが、展示施設などは作らないのか。
市側: 現時点では予算的にも計上されず白紙である。音声ガイドやスマホ映像などの機器も発展している。
守る会: 古墳の今後について、文化財センターの計画案は固まっているのか。
市側: これから、道路計画に対応して考える。
守る会: 高尾山古墳への募金の状況は
市側: 29年11月現在2千万円余に達している。
などの質疑が交わされました。
H30/ 年頭所感 「まず、道路ありき・・・」 副会長 瀬川裕市郎
まず、道路ありきの髙尾山古墳の保存と道路の両立?
瀬川裕市郞
2017年12月21日(木)、沼津市議会全員協議会が開かれ、「都市計画道路 沼津南一色線の整備方針について」議員全員で協議された。協議会の名が示すようにこの会は議決権を有せず、あとは本会議にかけられ議決され、はじめて市としての決定となる。
振り返れば2015年5月、髙尾山古墳は都市計画道路のため削平されると報ぜられ、現「髙尾山古墳を守る会」会長の杉山治孝さんの呼びかけにより、髙尾山古墳を守る市民の会、高尾山古墳を考える会、髙尾山古墳の保存を望む会の3団体が結成されたが、後、この3団体は「髙尾山古墳を守る会」に統合され、「髙尾山古墳を現状のまま残すこと」古墳の近くに「ガイダンス施設を設置し専門職員を常駐させること」、さらには「髙尾山古墳を町おこしのシンボルとすること」など要望してきた。
そして2015年9月3日に有識者による髙尾山古墳のための「協議会」も設置された。
2016年2月2日まで都合3回にわたって協議会は開かれ、3人の学識経験者の推奨されたB案から検討されることになった。しかし、残る5案についても協議会の意見として当局に提案された。その後、「T字路案」と略称されたB案では、公安委員会の了解が得られず、結局別案の「D、E、H案」の3案を検討することになった。
このうち、D案とされたものは協議会委員でアドバイザーの文化庁職員から、D案のように両側を道路で取り囲まれた古墳で国史跡指定となった例は知らないとされたもので、それまでを都市計画道路の検討案に入れるのかとの批判的な意見も出ていた。
さて、12月21日の全員協議会でH案で行くことがその場で報告・論議された。
当局の説明では古墳東側の都市計画道路予定敷地内(すでに都市計画道路沼津南一色線の大方は沼津市の市有地となっているという)に橋梁をかけ道を通すとしている。
ところが古墳の東側周壕一杯に橋梁がつくられ、前方部南端まで橋梁となる設計のようなので、古墳の東側、神社境内から古墳を見ても、この古墳が前方後方墳であることをイメージしづらい。当局のこの道路設置の計画案では、まず、この橋梁部分を含んだ道路の建設から始めるという。この事態を憂うのはさらに橋梁を支える橋台や橋脚はどこに設置されるのだろうと云うことである。そのため遺構を壊すことなどないように願いたい。
古墳を西側から見ても、西側に添う市道南北道の拡幅により、古墳北側の周壕の一部、後方部の西側の周壕、後方部の一部、さらに前方部の南端、撥状に拡がったあたりまでは削りとれられている。それだけで古墳の全体像をイメージしなくてはならず、古墳にあまり接したことのない見学者には分かりづらいことになってしまう。要はこうした橋梁による道路では髙尾山古墳の「古墳らしさ」をイメージしづらいと云うことである。
また、すでに東駿河湾環状道路の沼津から西区間の路線も決定もされたと云うし、この西区間の完成により現在の国道1号線の通行量は、4割近く減少するという当局の言質もある。それによれば、江原公園前交差点から共栄町の交差点にまたがる範囲の交通量も減少するはずであし、その上、古墳下のトンネル工事は30年代後半から始まるというので、その頃には人口減少に伴う交通量の減少も予測され、ここを通過する車両も、特に富士方面へ行く車両は、それまでには完成するであろう東駿河湾環状道路の沼津から西区間へ向かえば時間も大幅に短縮できるし、わざわざ髙尾山古墳を通過することもないだろう。
忘れないでほしいのは今回の髙尾山古墳を残すべきと云う私たちの要望は、私たちの会長の、「歴史と文化を大切にできない町は衰退する」という信念を共感した仲間がそのことを胸に秘めて、「髙尾山古墳は残すべき」と声を挙げている。言い換えれば沼津の将来に目を向けた声であると云うことでもある。
ところで、古墳を残すより「生活道路」を早急に通す方が、地元の要求にかなっていると云う意見もあるが、まったくその通りだと思う。しかし、いまつくろうとしている都市計画道路が生活道路と単純に云えるか否か議論する必要もありそうである。地元のお年寄りのなかには「幅が25mもあってそこを車が時速60㎞や50、40㎞で通り抜けるような道路はいらない」という声は重く受けとめるべきである。そうしたなか特に何人かの議員たちは古墳を移築しろとか、古墳の特徴など克明に記し、その記念碑を建てればよいという意見も出している。さらには古墳を残すためにかかった費用とそこから得られる収益の比較(対費用効果)を求めると云う意見もあるようだ。
この対費用効果を数字で求めるという意見には、先頃の全員協議会で教育次長が、古墳を保存し、地域の宝とすることは対費用効果を求める類のものでないと明確に答弁している。髙尾山の協議会でも委員の一人がこれを問題とし、対費用効果を意識すべきとの意見も出していた。また、古墳を移築させろと云う意見もある。これについては現実の問題として60mを超えるような大きな古墳を他へ移築させる技術などないし、たとえば、上円下方墳として発見例が全国で10基余りの例(愛鷹鉄工団地で確認された清水柳北1号墳)でも、これを移築してしまったため、これはレプリカ(模型)と判断され、国史跡指定となれなくなっている例もある。さらには、60mのものを縮小して他へ移せという意見もあるが、これでは清水柳北1号墳と同じである。また、古墳に副葬された鏡や鎗は総べて取り出されているので、髙尾山古墳はすでに「土の塊」にすぎないとも云うがそれでも古墳は古墳である。決して土の塊ではない。「興国寺城」にしろ「長浜城」にしろ当時の重厚兼備な建物の柱跡や堀跡など、副葬品の取り出された古墳を「土の塊」と称するなら、城址も同じではないかと思われる。
国史跡指定のメリットは当該史跡をもつ市町村が100%享受できるものであり、それにかかわる展示施設などを後日設置すると、およそ50%が国から補助される。
そしてなによりも史跡はその場所にあっての史跡でありその場におくことが最もベストとされている。また、議員の一人からエジプトのアブシンベル神殿さえ移築しているのだから、髙尾山古墳も移築が可能ではないかとの問い掛けがあったが、この神殿が移築したのは1960年代(昭和35年代)のことで、その後は「ユネスコが遵守するヴェネチュア憲章やバラ憲章等により、立地、素材等の現状維持を世界の共通認識としている。そして現在は歴史資産や文化遺産を移築した場合には世界遺産には登録出来ない」(ウィキベデイアより)ことになっている。ユネスコの遵守規定を引き合いに出すまでもなく、髙尾山古墳は地元である沼津市東熊堂や西熊堂の地先に、現状のままで保護、保存をして行くのがベストと考えられる。
残念だけど沼津の現状は杉山会長の危惧通りの方向に進んでいると思われる。愛鷹山麓は多くの考古学徒がうらやむほどの遺跡の宝庫である。特に旧石器時代の遺跡の密集は世界から注目されるほどである。そのいくつかが高速道や新幹線、工場進出、農地圃場、宅地開発などで失われても、それらの遺跡から発見された石器や土器についても市民に公開しようともしない。髙尾山古墳の副葬品についても近くにガイダンス施設を造れと要望に対して教育次長の言葉は冷ややかであった。教育次長の云うガイダンス施設とは、古墳の案内板のことで私たちの要望とはかけ離れたものであった。
実は、先頃私たちは道路関係課、文化財関係課と面談した。その中でこの両者は現在提出している諸々の案は、将来的な見通しを述べたもので、それらは決定事項ではないと何回も発言したと個人的には受けとっている。それだと私たちは何も言えなくなってしまう。
以前、この両課と面談した際、「なぜ、国史跡指定の申請を速やかにしないのか」問うたところ「都市計画道路に関する選択肢が狭められる」と云う返事であった。今度のH案についても厳密には協議会の提案したものではない。その上、今回の当局のH案は都市計画道路の敷地内で多くが自らが所有する敷地内での案件である。これでは「都市計画道路に関する選択肢を自ら狭めて」いることにならないか、いささか疑問とするところである。協議会のB案ついても、漏れ伝え聞くところでは信号の設置や鋭角的に曲がる交差点風道路などが危険であると云う以前に、1672号線は道路としての機能を失っており、地元の要望、1672号線の東西の行き来が完全に見捨てられていることも大きな理由となったのではないか。これでは古墳の保存と道路の両立とは、実は道路優先でことが進められてきたと思いたくもなる。主体としなくてはならないのは高尾山古墳である。
この際、先の私たち会長の信念を忘れずに議論してほしい。会長の信念を繰り返せば「歴史と文化を大切にできない町は衰退する」であるが、そのことを胸に刻んで古墳と道路の両立を間違いのないよう進めてほしい。明日の沼津のために。
高尾山古墳保存と計画道路整備案、最終案発表! H29/12/21
沼津市は21日、高尾山古墳保存と都市計画道路「沼津南一色線」整備計画に対する最終案を発表した。この発表は市議会定例会閉会後の異例の発表となったが、これは関係各所との最終的な調整に時間がかかったとの市側の説明であった。
最終案は協議会案H案の一部を変更したもので、古墳墳丘と神社の間、古墳東側を下り2車線の橋梁地上路(周溝部や前方部上)とし、上り2車線を古墳地下を通すとした案で、この計画は古墳景観を損ない、古墳の史跡活用に障害を残す計画あるといわざるを得ない。尚、沼津市発表の計画案資料は下記の緑色ボタンで閲覧できます。
また、沼津市市会議員「中田孝幸」氏のブログには、南一色線整備イメージが側面イメージとともにまとめられています、是非ご覧下さい。見出しは「高尾山古墳と道路の両立案」です。下記をオレンジ色ボタンをクリックしていただければブログにジャンプします。
沼津市計画案資料 (pdf)
トンネル構造で両立??? H29/12/13
12月13日、沼津市は都市計画道路沼津南一色線の開通と高尾山古墳保存の両立案として、道路は片側2車線をトンネルとして古墳地下を通し、もう片側2車線を古墳東側周溝部に橋脚をもった地上路を通すとした案を発表した。この案は、古墳と神社の間の周溝部や古墳の一部分上に2車線道路を通過させるという古墳の景観を著しく損なう案であり、古墳の遺跡としての利用価値を極めて狭める計画である。
私たち守る会は、沼津市に対し、常々計画案の公表とその協議を要求しており、先月末29日に守る会と市担当者との話し合いの席ではこのような計画案に対し市側から一切触れる事なく、新聞紙上への抜き打ち的な発表となった。これは、新聞紙上においての計画案の既成事実化を目指した、市民不在の市政の暴挙であると言わざるを得ない。
このような事態に対し守る会は、計画案図面の速やかな開示とその変更を求めると共に、古墳の現況保存、古墳景観の保全、古墳の史跡活用に対して、早急に私たち市民側との協議に応ずる事を要求する。
磯田先生の新刊が高尾山古墳について書いています。
「武士の家計簿」で一躍有名になった歴史家 磯田道史 氏の最新刊「日本史の内幕」が中公新書より刊行されました。この本のなかで、沼津市の高尾山古墳に触れ「初期古墳を守れ」として一節をもうけています。その中で
私は「ちょっと待ってくれ」といっている。私も遺跡の上の家で育ったから地元の不便さはわかる。しかし人間の品格はやせ我慢に宿る。「不便だがこれは日本国家誕生時の重要遺跡、それが沼津にあるのは地域の誇りだから」と子どもたちに語れる品格もあっていい。
高尾山は壊せる古墳ではない。壊せば祟(たた)られるとはいわないが、恥だ。「あの時の沼津の人と市長は偉かった」と後世に語りつがれる決断をしたほうがいい。国も特殊な事情を勘案してほしいと思う。
私たちは磯田氏のこの言葉を、沼津市民のすべて、日本国民の全てに伝えたい。今の総理大臣や大企業の不正事件をみていると、この国はいつのまにかこんなにも品格のない人々の国家になってしまったのかと。
「日本史の内幕」中公新書 840円+税
守る会は 11月21日 4カ条の要望書を提出しました。
沼津市は先に示した道路案Bの実現が難しくなったとして、新たにD案・E案・H案の再検討にはいりました。その為「高尾山古墳を守る会」は11月21日大沼市長に対し、4か条の要望書を提出し、古墳がこれ以上損壊されぬよう求めました。
1. 検討にあたっては古墳の可視範囲を現状以上に阻害させず、また古墳をこれ以上傷つけることのないように要望し、併せて検討案の図面での開示を要求します。
2. 新たに検討中の3案以外の案を策定する場合には、その案を直ちに公開してください。それは協議会の検討案でないことから、本会を含む市民の情報の共有になります。
3. 市当局が現在検討中の案につき、最終決定をする前に、本会を含む各関係団体の意見を聴取する機会を設けられるよう要望し、なされない場合はその理由を開示してください
4. そして私たちは、上下各1車線ずつのトンネルを通し、しばらくはそのトンネルのみを使用し、然るべき後に、古墳の西側や東側を通る道路案を検討するという案をもっています。ぜひ私たちのこの案を選択肢の一つに加え、前向きにご検討ください。
以上要望し、その回答を求めたものです。
育て郷土愛 ! H29/11/16
「高尾山古墳を守る会」会員が、沼津市の「チーム学校」実現事業に協力しました。この取組は市の教育大綱に基づき「郷土愛の育成」や「地域に貢献できる人材育成」のために地域交流・体験学習・校外学習を推進するもので、会のメンバーも沢田小の「沢っ子オリエンテーリング」に協力。校区内の市指定史跡「子の神古墳」では古墳を通じここには千数百年以上の長い歴史が眠っており、その歴史の興味深さおもしろさを説明しました。
高尾山古墳のパンフレット販売 H29/11
高尾山周辺史跡めぐり H29/11/18
11月18日土曜日、第7回「史跡と資料の語る沼津の古代史」による、「沼津の史跡巡り」が開催されました。当日はあいにくの小雨もよう、それでも20名の歴史好きが傘をさしながらも高尾山古墳とその周辺の史跡を3時間にわたり探訪しました。
一番目は東熊堂「大泉寺」ご住職に寺の由緒・縁起を話いただき、古文書・熊堂大泉寺文書に記された地震の話などをききました。また、この寺には「こよい出船か おなごりおしや」で有名な歌謡「出船」の作詞者、勝田香月の墓があります。次は高尾山古墳、古墳の説明に加え道路計画にも触れ、道路と保存の両立の難しさを実感しました。三番目は長塚古墳、守る会副会長の発掘当時の話をうかがい。近くにある笹見窪では明治初年における、徳川幕府解体と沼津に移住してきた100戸あまりの幕臣家族の維新後の窮状を知りました。その後、澤田小学校沿革、義民・山田源次郎顕彰碑を訪れ、昼頃の解散となりました。
講演 「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」タイトル由来 H29/10/28
10月28日 沼津北口キラメッセで第6回「遺跡・資料の語る沼津の古代史」講演会がおこなわれました。演題は「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」と題し、守る会副会長の瀬川裕市郎による講演でした、講演を終え、瀬川さんにタイトルの由来などをお聞きしました。
『奈良時代スルガの名物はカツオ製品だった』と云うタイトルでお話しさせていただきましたが、なぜこのようなタイトルに、との質問がありましたので、ちょっとお話させていただきます。
大分以前になりますが「守る会」の会長(杉山治孝さん)から、高尾山古墳を築造できた経済力は何だったのかと問われ答えに窮したことがありました。
その後、同じような質問を何人からか受け、うまく応えられずにいました。そんな折、奈良時代を中心とした平城京や平安京、長屋皇子邸跡から大量の木簡が発見され、そのなかにこの地方のカツオ製品の貢納木簡が数多く含まれていたことを思い出しました。
私は以前、それらを堅魚木簡として整理し、私なりに200点ほど集成できていました。堅魚木簡の多くは調(税)として納められたカツオ製品に、荷札のように付けられた木片です。
木簡が使われた当時は律令国家が成立し、一応税体系も整い「調」として、この地方はカツオ製品を納めていたわけです。ここのカツオ製品は都に届くほど存在感(ブランド力)があったと云うことだったと思います。
ただ、それは「延喜式」に記された当時に、この地方の「名産(名物)」になったわけではなく、おそらく縄文時代やそれ以前から、この地方には長い漁業の歴史があり、そのなかで都にも、ここのカツオ製品が周知される程になっていたのだと考えてみたわけです。
そして、このような地域の特産物が髙尾山古墳だけでなく、神明塚や子の神古墳を築造し得た経済力だったのかも知れないのです。
さらに研究するべき課題はあると思っていますが、興味は尽きません。
9月22日提出の質問書の回答がありました。 H29/10/18
先月22日に「高尾山古墳を守る会」の提出した市長宛の質問書の回答が10月18日にありました。回答は今年5月に守る会が市に質して得た内容とほぼ同様なものでした。
私たちの今回の質問は、市の「道路計画と古墳保存」に関する「国指定への取り組み」の姿勢と、それがどのように具体的になされているのかを質問したものです。これはこのところの市の「国指定」へ発言に若干のトーンダウンが見られ、それに疑念を感じたためのものでした。
しかし残念なことに、今回の回答書も「国史跡指定を目指していきます。」や「国指定の申請に向け取り組んでいきます。」との回答にとどまり、県教育委員会や文化庁との具体的協議に触れるものではありませんでした。
「国指定」はあくまでも私たちの財産としての、史跡の保護と活用を図るためのものです。決して国の為にするものありません。私たち市民や市行政の積極的働きかけ無くしては、史跡を健全に守ることや活用することが難しくなると危惧するのです。
9月30日 第5回 遺跡・資料の語る沼津の古代史 が開催されました。
9月30日(土)キラメッセぬまづ市民サロンで「史跡と史料の語る沼津の古代史」第5回講演会が開催されました。講師は瀬川裕市郎高尾山古墳を守る会副会長によるもので、演題は「愛鷹山麓の縄文時代は仮住まい?土器は何処でつくったか」というものでした。
講演はまず、愛鷹山麓の開発によって多くの遺跡が破壊されてしまった現状を紹介したのち、山麓の地形・水系・動植物、から説き起こし、山麓に於ける縄文時代の遺構・遺物の特徴が説明されました。
愛鷹山麓の縄文時代は広葉樹の生えた草原のような状態で、住居の特徴としては、山梨や長野などの周辺他地域の竪穴住居に比較して、まとまりとしての戸数が少なく、竪穴の掘り込みが浅く、柱が総じて細く、柱を埋めた部分も浅いなど、住居としては小規模・原始的であり仮設的な住居のようです。また住居に付随して発掘される土器や石器などの数量や種類も他地域に比べて少なく、縄文時代の革新的技術であり生活に欠かせない土器の製作も、愛鷹山麓の土質は水分量が多く非結晶のため土器製作には向かず、発見される土器の多くは外部より持ち込まれたものだそうです。
石器の種類に於いては打製石斧や石皿といった植物採取生活に必要な石器類が少なく、割合として狩猟生活に必要な石鏃などが多いという特徴があり、縄文時代の愛鷹山麓は年間を通じて生活する場・集落としてよりも、狩猟の季節などに一時的な生活の場として利用された可能性が高いというお話でした。
愛鷹山麓は県内有数の遺跡の多い所と聞いていましたが、今回の講演の指摘に縄文時代の愛鷹山麓のイメージに新たな深みが加わった講演内容でした。
また、講演終了後、9月22日付で提出された市長あての質問書の説明と聴講者との意見交換がなされました。
次回講演会は10月28日「奈良・平安のスルガの名産はカツオ製品」と題し引き続き瀬川副会長の講演となります。皆様の御聴講をお待ちしております。
H29年9月22日 大沼市長あて質問書を提出しました
高尾山古墳を守る会は9月22日付けで大沼市長に対し質問書を提出しました(質問書原本はボタンをクリック)。
質問書の提出は、前栗原市長との約束であった、「国の指定史跡として保存するという約束」に対し、このところの市の対応に若干の疑念を感じたためです。
質問内容は、5月24日付回答に於ける地元からの要望とは何か? 私たち守る会は古墳の「保存」と「国指定史跡とする事」は同義と考えているが市側も同様に「道路の施設と古墳の国指定」を目指しているか? 新たに再検討案とした案の中に文化庁職員より「国の指定となった例をしらない」とされた道路案が入っているが、文化庁との国指定史跡へ向けての協議や指導は受けているのか、受けていない場合は速やかに受けるよう要望し、またその指導を受けた中で国指定とするために必要な時は道路案を再検討する用意があるのか? というものです。
これら市長宛の質問は10月15日迄に回答をいただける予定です。
市長と語る会で「高尾山古墳と道路建設」の質疑 H29/8/29
8月29日金岡地区センターに於いて市長と語る会が開催され、その中で「高尾山古墳の保存と沼津一色線整備」に関する質疑が交わされました。
「古墳の保存と沼津一色線の道路整備」に関しては、古墳の地元金岡地区センターで会が開催されたことで、特に時間を割いて話し合われ、地元自治会との意見交換では、①都市計画道路沼津南一色線の整備と古墳の保存②地区内東西道路の整備③地区内南北道路の整備に関して質問や要望が出された。
「古墳の保存と道路の整備」に関しては、道路建設課長が現況を回答し、有識者を交えた協議会で推奨された計画案B(T字交差点・信号を古墳の西北に設けて急カーブに代える案)が道路の安全確保上、公安委員会より「それはできない」と言われ、かつB案では「地元要望の東西連絡道路の整備困難が浮上」したためB案を除外し、上り下りの片側の車線をトンネルとする、二つの案と、上り下り線によって古墳を挟み込む案(協議会に於いて文化庁のアドバイザーより、そのような形で古墳が国指定となった例を知らないとされた案)3案の中から最適の案を選考し早期に道路整備に移るとの構想を示した。
一方、道路行政の専門家である新屋千樹副市長は「古墳と新幹線と国道1号に挟まれた狭い地域に道路建設を行う事、制限速度60キロの安全基準を満たしながら設計せねばならない事、周辺は軟弱地盤なのでトンネル建設にも十分な検討が必要となる事など」検討が難航している現状を明かした。
また、市長は「古墳は邪馬台国の女王卑弥呼に対抗する勢力の王の墓であるという説」を取り上げながら沼津をブランディングする材料や、沼津の元気を生み出す材料になる可能性が高尾山古墳には秘められているとの考えを示し「なんとか今年中に方向性の確認をできないかやっている」との慎重な態度を示した。
これら市側の意見に対し、地元自治会役員から「古墳を壊さないというのが大前提になっているが」と他の例をひきながら「沼津の豪族の墓がレプリカではいけないのか」との発言もあり、市教委担当者は史跡、とりわけ古墳は造られた場所との関連が重要である・・・と説明した。
また神田町の男性からは「歴史と文化を大切にしない都市は衰退する」との意見もあり、市長は「地元の皆さんの気持ち、文化と歴史、双方を大事にしてゆきたい。皆さんの支援をお願いします。」とこれに応じた。
沼津朝日 平成29年8月31日記事より要約
「遺跡・史料の語る沼津の古代史」 H29/8/26(土) 第4回 終了
「高尾山古墳を守る会」主催の歴史講演会が8月26日(土) 沼津駅北口のプラザヴェルデ1階市民サロンで開催されました。
講演は市文化振興課の 高尾好之 氏によるもので、「愛鷹山麓の旧石器人は最初の静岡人?」と題された講演は、市内井出から発掘された、後期旧石器時代の遺跡「井出丸山遺跡」(38,250年前の日本最古級の旧石器時代遺跡)からひもとかれ、何層にも重なった愛鷹山の明瞭な地層に眠る石器の特徴と、その変遷について語られました。
愛鷹山麓や箱根山西麓は後期旧石器時代からの遺跡が多数分布している事が知られています。これらの遺跡はこの時代の数少ない生活跡として、石器や土坑・石囲い炉などと、目立つ事のない遺物や遺構ではありますが、日本列島に初めて渡ってきた人々の姿をわずか垣間見ることのできる極めて貴重な遺跡群です。
私たち古里の土を最初に踏んだ人々の手がかり・・・・。郷土の原初に遡る痕跡、歴史好きとしては本当に興味の尽きない講演でした。
なお、今回の講演会参加者も、市民サロンが満席(約50名)になる盛会でした。今後も地域の歴史を知るための魅力ある講演会を企画し、高尾山古墳の国指定史跡を目指し、皆様の一層のご理解を得たく活動してゆきます。
守る会主催 歴史講演会 H29/7/15(土) 終了しました。
ウィキペディアに高尾山古墳のページ H29/5月
今や生活には欠かせないインターネット、その便利さは生活の隅々まで浸透しています。そして、その便利さの秘密は多くの人々に支えられたありとあらゆる情報、買い物から・健康・旅行から読書、あげくの果ては日常の愚痴まで。考えつくありとあらゆる情報がネット上に溢れています。
その中でもウィキペディアのフリー百科事典はスグレモノのひとつ。誰でもが自分の得意とする情報分野を編集執筆して百科事典のページとして世界に開けるものです。この執筆者達は全てボランティア、広告もなし、ですから専門家だけで終わらない知識と資本家や権力に縛られない情報が集積されています。
ちなみに高尾山古墳のページはA4版で印刷すると29ページ、高尾山古墳に関する情報が網羅されています。
守る会は大沼市長宛質問書を提出しました H29/5/11(土)
「守る会」は市長あてに質問書を提出しました。これは「高尾山古墳の保存と都市計画道路(沼津南一色線)整備の両立に関する協議会」が推薦案としたB案(4車線のT字路案)の実現が困難として他の案も再検討するとの議会での答弁を受けたものです。
このB案は都市計画の専門家と国交省・文化庁などのアドバイザーによって構成された協議会によって推薦された案であり、「守る会」としても国指定史跡に向け最低限古墳を傷つけない案として了承できた案です。これに対し市長は回答に於いて「平成27年度の協議会に於いて、整備案Bについて、優先的に検証調整を進める事を推奨する意見が付されたため、まずは整備案Bから検証を行って来たが、
1.地域からの要望である、沼津南一色線に接続する古墳北側の地域内東西の道路の確保が困難である事。(地元自治会の要望)
2.沼津南一色線は4車線であり、T字の形状では屈曲部に於ける大型車の並走に於いて安全性の確保が困難である。(公安委員会の意見)
があるとして、他の5案の検討を再度行うと云うものです。他の案は片側トンネル案で工事費が嵩むことや、上下車線によって古墳が挟まれ国の指定史跡として認定が危ぶまれるとされた案です。